米で大ヒットの映画「オッペンハイマー」 子孫らが語る原爆開発と投下から得るべき教訓とは(4)
■科学者らが称えた「産婦人科医」としての祖父
――映画「オッペンハイマー」では、オッペンハイマー氏が核兵器が使用された後、後悔・葛藤するようなシーンが描かれていました。あなたの祖父はどうだったのでしょうか? 興味深いことがあります。祖父は晩年の1983年に、マンハッタン計画の同窓会に出席しました。ロスアラモスに最初に人々が移住してから40年後、その最初に移住した人々の集まりでした。超一流の物理学者らも出席していました。そこで様々な科学者にインタビューしたドキュメンタリーがありますが、ほぼ全員が、「我々がここでしたのはひどいことだった」と言い、マンハッタン計画に参加したこと、彼らの開発したものが生み出した結果について、明確な後悔を吐露したのです。当時は冷戦の真っ只中で、数千の核兵器が配備可能な状態でした。祖父もその場にいましたが、同窓会で最ももてはやされたのは、実は祖父だったそうです。ロスアラモスで多くの赤ちゃんをこの世に送り届けたことに対してです。私は、彼らが祝えたのは破壊的な兵器の発明ではなく、この世に命を送り届けることに貢献した人物のことだったのだ、と捉えています。人の命を奪うのではなく、人の命の誕生に貢献した人物のことを。祖父もマンハッタン計画での自身の役割を聞かれると「ただ出産のお手伝いをしただけです」と答えたことがあったそうです。それが彼の思いだと思います。破壊的な兵器の開発ではなく、赤ちゃんたちの出産の手伝いをしたことが誇りだったということです。
■広島と長崎の描写がない映画が、それでも投げかけるものとは
――映画「オッペンハイマー」が大ヒットしていますが、その重要性をどう考えていますか? この映画がアメリカの人々の原爆に対する認識に与える影響は? 最終的にどのような影響があるかはもう少し見てみましょう。映画では、オッペンハイマーの人物像、そしてマンハッタン計画に関わった彼の道徳的な葛藤が描かれています。オッペンハイマーがトルーマン大統領と面会したシーンで、「私の手は血で汚れているように感じる」と発言します。「我々科学者は罪を知った」とも言いました。オッペンハイマーは後悔の念を示し、公に水爆の開発に反対を表明しました。