時代が創った国立代々木競技場、2度目の東京五輪はなぜうまく進まないのか
しかし人間は、成功した途端に傲慢になり油断する。 明治の開国後たちまちのうちに列強に伍するまでになり、昭和の敗戦後たちまちのうちに復興と成長を遂げる、二度の奇跡を演じた極東の島国であったが、オイルショックを切り抜けたあと、バブル経済に沸き、世界中の土地を買いあさり、バブルが弾けても未だに兜の緒を引き締めることなく、さらなるバブルを夢見て、借金だらけの放漫経営を続けている。 大空の五輪マークから半世紀が経ち、東京は再びこのスポーツの祭典を迎えようとしている。 東京開催が決まったとき、かつての高校生は不安を覚えた。 政府は空前の財政赤字に苦しみ、建設業界は震災復興に手一杯だ。にもかかわらず、政治家も、マスコミも、国民も、誘致成功を久々の朗報と受け止めて拍手喝采。「大きな声では言えないけど、私は反対です」という少数者もいたが、確固たる反対意見が社会の表面に出ることはなかった。 かつての高校生は、亡き父親が真珠湾攻撃に際して「大変なことになると思ったが、周囲は万歳三唱していた」と、苦々しく語ったのを思い起こし、太平洋戦争の責任者たちが、戦後異口同音に「自分は反対であったが、それを言える空気ではなかった」と、言い訳したことを思い起こした。
案の定、第二の東京オリンピックはご難つづきである。 猪瀬知事も、舛添知事も失脚。エンブレムは盗用(問題は、マスメディアがよく報じるベルギーの劇場ではなく、ヤン・チヒョルト展のポスターとの類似である)。新国立競技場のザハ・ハディド案は、国際コンペで選ばれたにもかかわらず白紙撤回、審査委員長の安藤忠雄も批判された。それまでの設計にかかったコストもさることながら、国際的なデザイン界、建築界において日本は信用を失った。これは今激しくなっている意匠権商標権の競争において、ボディブローのように効いてくるだろう。 現在計画されているどの施設を見ても、代々木競技場のような、画期的な設計は見当たらない。 こういった問題は、国民意識の底にある、オリンピックを楽しみにする気持ちと、高いコストを許さない気持ちとのギャップから来るのであろう。1964年のオリンピックは戦後復興の象徴であったが、2020年のオリンピックは震災復興とぶつかっているのだ。 真に、国の行く末を案じ、機を見るに敏な政治家が実権を握っていたら、震災が起きた時点でオリンピック開催の申請を取り下げたであろう。残念ながら、国民の熱狂に水を差すような腹の据わった政治家はいなかった。開催するにしても、高度成長の時代とは異なる、コストをかけず、メダルの数を競うのではない、各国の協調と平和と地球環境の維持をテーマにする、まったく新しいオリンピック像を模索すべきであったが、それだけの見識と覚悟をもった政治家もいなかった。そして多くの企業や個人が、これを千載一遇のチャンスと捉えて走り始めた。