正体不明なものと対峙する恐怖から逃れるための唯一の方法は、“学ぶ”こと|ユナイテッドアローズ執行役員 山崎万里子さん|STORY
――会社の成長に伴う“変化”に対する葛藤でしょうか? 会社が株式公開するってことは、当然成長していく前提ですよね。でも、以前のユナイテッドアローズは洋服屋さん。どちらかというとトップラインを上げていくというよりも、いいものを作ったり仕入れたりして売るという、お客さんに満足してもらうことにものすごくコミットしていたんですよね。そこに、成長っていうドライバーがどん! と入ってきたので、当然ながら拡大していかなきゃいけなくなるわけですよね。 ――拡大の仕方によっては、色々な意見が出てきますよね……。 ものすごく覚えているのが、駅ビルやアウトレットに出店する時。「なぜ駅ビルに? なぜアウトレットに?」という意見が多く出てきました。 ――なぜ? という意見を持った人たちの理解を得られるためにしたこととは? 当時は鉄道会社による駅ナカの商業施設の開発が増えていく中、ユナイテッドアローズとしても未知のお客様との接点を広げるために、あらゆる立地に出店していくということで決めたわけです。それでもやはり反対をするスタッフはいました。会議などで反対意見が出て、反対する人は挙手を促され、「今、手を上げた人は出ていってください」と言われました。駅ナカだけでなく、アウトレット出店の時も同様のことが起こりましたね。どちらの側に立ったとしても、昔からいる人たちにとっては非常に辛い瞬間でした。 ――山崎さんは、どういった立ち位置で、もしくはどんな気持ちでそういった事柄を見つめていらしたんでしょうか? 自分自身、元々は職人ではないですけど、どちらかというとクリエイティビティど真ん中の人間だったと思います。ただ、自分で仕事を選ぶ立場にない新人として末端で働いている中、振ってくる仕事はクリエイティビティ領域のものもあれば、そうじゃないビジネス目線の指摘を受けながら行うものもありました。そういう環境の中、20代後半から、自分は何が向いているのか? 好き嫌いではなく自分にとって、職業としてやっていけるのは何か? ということを考え始めるようになったんです。このことは自分にとって、とてもいいことだったと思っています。 ――企業が成長していく上で、避けられない摩擦なのでしょうか……。常に前向きな印象のある山崎さんですが、個人として大変だったことはありましたか? 30歳になった頃から、マネジメント層が参加する会議に出席するようになったんですが、この会議の共通言語がさっぱり理解できなかったんです。会計、ファイナンスですよね。この共通言語を理解できる人が議論を進めていく中で、理解できない私は発言すらできず、座っているだけでした。 ――辛い時間ですね……。 理解できないと、反対意見を発することができず、わかる人に言いくるめられてしまう。その時、ビジネスを司る人たちの言語を理解しない限り、私は言うことを聞くだけになってしまう。これは自分のキャリアクライシスだと思いました。