【陸上】インタビュー/今井正人 順大コーチとしてリスタート「選手がチャレンジする環境を作り、自分もチャレンジし続けたい」
2月25日の日本選手権クロカン。今井正人さんは「山あり谷あり。谷のほうが大きかったけど、あっという間だった」という24年の競技生活にピリオドを打った。福島・原町高で本格的に陸上を始め、世代トップクラスに成長。順大では箱根駅伝5区で“山の神”と謳われる活躍をし、トヨタ自動車九州ではマラソン、駅伝で日本を代表するランナーに。そして、40歳の節目を迎えた2024年4月2日から、母校・順大の長距離コーチとして新たなスタートを切った。選手として走り続けた日々、指導者として歩むこれからについて語る。 【写真】順大時代は「初代山の神」の称号 現役時代の激走をプレイバック!
新たな“勉強”に邁進する日々
――3月13日に順大男子長距離コーチ就任を発表しました。4月から本格的に指導者としての生活がスタートしていますが、心境としてはいかがでしょうか? 今井 母校ということで大学生活を思い出しますが、競技や競技外の生活を含めて自分でスケジューリングしていたところから、学生中心へと視点を切り替えているところ。まだまだ勉強させてもらっている段階ですが、早く慣れていきたいです。 ――長門俊介監督は大学時代の同期です。 今井 長門監督とは、大学の時から競技のこと、将来のことをすごく話してきましたし、いつか一緒に仕事ができればいいね、とも話したことがありました。まさか本当に実現するとは思いませんでしたが、長門監督と思いは共有できているので、彼が思い切ってやれるようにサポートしていきたいと思っています。同じくコーチになった田中秀幸と一緒に、長門監督が作っていくものに2人で塩、コショウのようなアクセントがつけられればいいですね。 ――理想とする指導者像は? 今井 選手がチャレンジする環境を作り、自分もチャレンジし続けることを大切にしたいです。そのためには勉強も必要。困難に遭遇することも多いと思いますが、それを一緒に乗り越えていけるように選手の隣で伴走していきたいです。 ――伴走するなら、これからも走り続けないといけないですね。 今井 そういう伴走ではないです(笑)。やめた僕と一緒に走るレベルだと、世界なんて目指せませんから、どんどん置いて行ってほしいです。僕は自転車や車で伴走します(笑)。 学生たちは1月3日の悔しさ(箱根駅伝で総合17位となり、4年ぶりにシード権喪失)から、長門監督を中心に立て直しを図っています。3月末の順大競技会でも各選手が良い雰囲気の走りを見せていました。出場した選手はきついところで粘れていましたし、レースのなかった選手は全員で応援する姿がありました。学生たちからの「やってやろう」というエネルギーを肌で感じています。 ――現役生活を終えて、改めてどんな心境でしょうか。 今井 あっという間でした。特にトヨタ自動車九州に在籍した17年間は1年間のサイクルが同じということもあり、早く感じました。 ――引退を決断したのはいつでしたか? 今井 一番のきっかけは昨年10月のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の結果を受けてですね。実は2022年11月下旬に内転筋と股関節周りを痛めて、翌年3月まで治らなかった頃から意識していました。10月にMGCを控える中で、そのブランクに大きな不安を感じていました。練習を積み重ねる中で9月上旬には戦える感覚がつかめましたが、良い動きの練習が1、2本続けてできた直後に、「あれ、なんか痛い」と異変を感じました。MGCまで痛みが回復せず、戦える状態でスタートラインに立てなかった時、決断しました。 ――引退を決意した瞬間は、どんな思いが湧き起こりましたか? 今井 気持ちが抜けたわけではなかったですが、マラソンの火は消えた、勝負としてのマラソンは終わったなと思いました。これまで出場した17回のマラソンは途中棄権や失格なく走り切っていたので、最後まで走り切ることは自分自身のこだわりでもありました。ですが、MGCの30kmで(制限時間の)関門に引っかかった瞬間に「あ、来てしまったな」と。たとえ完走していても、このタイムではもう勝負できないと思ったでしょうし、勝負に臨める状態ではないと感じた時点で、引退を選んでいたと思います。 ――周りの方には相談されましたか? 今井 家族に話しました。妻は競技者でなくなることを想像できないと言っていましたし、子どもたちからももっと走ってほしいと言われました。でも、1月ぐらいに、再度、「やっぱりこのまま競技を続けるのは厳しい」と妻と話しました。森下広一監督には最後まで明言しないままでしたが、お互い感じているものは同じだったと思います。1%でも世界の可能性がある限りはあきらめるつもりはありませんでしたが、そんなに甘いものではないと監督はもちろん、自分自身でもわかっていました。