借金1億5千万円で倒産寸前から復活した「鎌倉のカレー女王」 元生保レディのガッツで、下請けの悲哀を脱出
◆資金繰りのため、生まれ育った自宅を売却
----当時の業績不振の背景を詳しく教えてください。 時代の移り変わりや人材不足、施設の老朽化など、さまざまなことが重なった結果だと思います。 食に関する事業は、ひと昔前には考えられないくらい多様化していて、多様な企業が参入するようになりました。 昔のやり方を続けても業績が上がらず、借金が1億5000万円まで膨らんだのだと思います。 そして、父は経営者に向いていませんでした。 ものづくり職人としては一流ですが、経営に関することは大ざっぱ。 几帳面な母が父をフォローしてきたのですが、私が17歳のときに母が亡くなり、少しずつ経営に悪い影響が積み重なっていったと思います。 ----社長に就任して、どんなことに取り組んだのですか? まずはとにかく清潔にすること。 当たり前のことですが、工場内の掃除でいえば、それまでは「気づいた人がやる」みたいな感じでした。 それを、私も一緒に掃除をする当番制にして、従業員の意識改革を行いました。 また、新たに姉弟で会社を再建するということで、元の会社は清算。 私と弟の順麗(まさよし)のイニシャルをとり、新会社「エム・トゥ・エム」を設立しました。 ----資金繰りはどうされたのでしょうか? 1億5000万円もの借金があったので、資金にまったく余裕はありませんでした。 仕方ないので祖母の許しを得て、自宅を売却して資金繰りしたんです。 生まれ育ってきた家ですし、ほかの家族も思い入れのある家でした。 でも、これ以上の借金はできず、祖母は「お前がやるんだったらいいよ」と言ってくれました。 祖母も経営面や営業面で祖父や父を支えた強い人でした。 ----事業継承した直後、従業員の反応はどうでしたか? 社長の娘とはいえ、食品業界の経験はゼロ。 私は当時28歳でしたが、パートさんが私の小学校の友達のお母さんだったりするんです。 当然、実務経験のない若い女性がいきなり社長になることに、みなさん抵抗がありました。 他業種の事業承継にもいえることだと思いますが、ベテラン従業員ほど、仕事のやり方が変わることを嫌います。 何をするにも従業員から反発を受けました。 でも、会社が存続できるどうかの瀬戸際です。 「良いものは良い、ダメなものはダメ」と強い気持ちをもって従業員と対峙しましたね。