借金1億5千万円で倒産寸前から復活した「鎌倉のカレー女王」 元生保レディのガッツで、下請けの悲哀を脱出
◆下請けの悲劇を繰り返さない
----業績を回復させるために、ほかにどんな取り組みを行なったのですか? 自社ブランドの確立です。 以前、父があるメーカーにカレーフレークの技術提供をしたり、下請けの仕事をしたりしていたのですが、技術を教えた途端に契約を打ち切られてしまったことがありました。 「メーカーの下請けだと、こういうことになるんだ」と強く感じましたね。 ブランド確立には市場調査が大事ということで、パートさんと自転車で周辺のスーパーを回り、各メーカーのカレールーのグラム数や素材、値段を調べたり、どんなものが売れているかを調査したりしました。 すると「無添加のカレールーはない」といった新しい気づきを得て、商品のアイデアも生まれ、商品開発を進めました。 専務であり工場長だった弟が天才的な味覚の持ち主で、品質・味の面でも絶対的な自信をもって売ることができました。 私はスーパーの新規開拓営業に注力しました。 ----営業では、前職の経験が生かされたのでしょうか。 最初はスーパーのユニオンさんに営業に行き、門前払いされたのですが、めげずに通いました。 3回目に行ったとき、「私が店内の掃除をするので、その間にうちの商品を食べてください」とお願いしたら、担当者さんが「おいしいじゃない!」とほめてくれて、うちの商品を置いてくれるようになりました。 その勢いで、オリンピックさんと成城石井さんにも営業に行って、PB(プライベートブランド)の話が決まったのです。 スーパー業界は基本的に男性社会です。 ディズニー映画の『ファインディング・ニモ』のように、荒っぽいサメがたくさんいる大海を泳いでいるような気持ちでした。 でも、生保レディで培ったガッツがここで活きたんだと思います。 結果、3年間で借金を全額返済することができたのですから。
■プロフィール
株式会社エム・トゥ・エム 代表取締役 伊藤 眞代 氏 1970年、神奈川県鎌倉市生まれ。保険会社の営業職として活躍していたが、1億5000万円の負債を抱えて経営不振に陥った家業を救うべく、28歳の若さで代表取締役に就任。「老舗の洋食屋の味をご家庭で味わっていただきたい」という思いと、安心・安全な商品開発で多くのヒット商品を世に送り出す。業績を急回復させ、2021年に鎌倉の地に自社工場を建設し、「鎌倉のカレー女王」と呼ばれるようになる。