江戸時代の武士が利用した「介護休暇」 老親介護をバックアップした驚きの中身
十月九日 「四ツ半時帰宅申候」「日暮より又々根小屋へ参申候て、夜四ツ半時頃帰宅申候」 十月十四日 「九ツ時帰宅申候而、七ツ半時頃より又々罷越申候」 十月二十日 「九ツ時帰宅申候」「七ツ半時過より又々根小屋へ罷越申候」 十一月六日 「九ツ時帰宅申候」「日暮より又々根小屋へ罷越申候」 シンプルな文面なので訳は省略しましたが、おおむねの傾向として、夜中ずっと実父の傍にいて、翌日の「昼九ツ(正午頃)」前後に宗家の自宅に戻っています。そして自宅で一休みした後、「昼七ツ半(午後五時頃)」前後にまた実家に出向く生活を繰り返しています。やや早めに自宅に戻る日もありますが、基本的にこのパターンを厳格なまでに維持し続けました。例えば11月3日には次のような記述があります。
「七ツ時より小場小伝治殿被参候、我等ハ小伝治殿被居候内申断、七ツ半時過根小屋へ罷越申候」 (午後4時に小場小伝治〔おば・こてんじ〕殿がいらっしゃった。私たちは小伝治殿がいらっしゃるうちに断りを申し上げて、午後5時過ぎに根小屋に行きました) 来客中であってもいつもの「ケアに行く時間」が来ると、退出して実家に向かっているのです。ここからは毎日どのようにケア・見守りを行うかのスケジュールを事前に取り決めていて、それを守ろうとしていたのでは、といった想像もできます。もしそうなら、実家の「左膳」ともケア方針について相談・取り決めをしていたのかもしれません。
こうした近距離介護生活を1カ月半以上続けたところ、父・光成の状態が次第に改善していったようで、11月22日に次のような記載があります。 「此間根小屋ニ而も格別御快気ニ趣候故、……看病御暇御礼并返上之義問合候処、……」 (このところ根小屋の実父も格別快方に向かいましたので、……看病御暇の御礼およびその返上について問い合わせましたところ、……) ケアを必要としていた実父・光成の体調が良くなったため、看病御暇を返上する意思が読み取れます。その後27日に、正式に看病御暇を返上して出勤する旨を伝える回文を「お相手番」の同役衆に送っています。