90代から学んだ「老い」への向き合い方。不安になる人とそうでない人の違い
「若い人たちに迷惑をかけたくない」という不安
しかし、「人生の折り返し点を迎え、先行きが不安です」「年寄りは社会の邪魔者だから、そんなに長く生きていても仕方ないですね」「若い人たちに迷惑をかけたくない、どうしたらいいのでしょう?」といった悩みがとても多いのが事実。 老いていくことや病気にかかることに不安を感じている人へ届けたいのが、この「遊老学病」という言葉です。 福厳寺のある地方都市では、農家のお年寄りたちは、畑に出て熱心に草取りをして、収穫物を物々交換して生き生きと老後を楽しんでいます。その一方で、仕事を引退し、老いを悲観しながら家にこもってばかりで、「遊老」できていない人もいます。 老いると、体力が衰えるので、周りからはなにもしなくていいよと言われがちですが、団地の花壇の草取りでも、水やりでも、なんでも買って出ればいいと思います。若い頃とペースが違っても、それが当たり前なのですから、悲観する必要はないのです。 どんな小さなことでも自分にできる役割や生きがいを見つけて、外と関わることができたら、見えてくる景色も変わります。 私も最近は老いを実感しています。物忘れをすることもありますし、子どもたちと一緒に走れば、彼らはハァハァ、こちらはゼェゼェ。でも、考えてみればそれも当然のことです。 私の師匠も若い頃から苦労をして、早くから総入れ歯になっているのですが、私が歯痛に苦しんでいる姿を見て、「おまえも早く歯がなくなればラクだよ、食べ物はおいしいし、手入れも簡単だし」と言っています。老いをネタにあっけらかんと笑えたら、老いる不安も吹き飛びます。 「遊老」の極意は、老いという、その人にとっての初めての肉体体験をおもしろがれる心の柔軟さに尽きます。前向きにとらえて、その気持ちを伝え合って楽しもうというじつに愉快な試みなのです。 また、生きていれば、当然、病気になることもあります。私は整体師を志し、15年間、体と向き合い、生理学、病理学を勉強しました。すると、以前は発熱したり、炎症を起こすのはよくないことだと思っていましたが、自分の命を守ろうとする大事な体の反応だということを知りました。