【特集】能登半島地震からまもなく1年、石川県珠洲市の“現在地”を取材 動き出す復興への歩み「真剣に落ち込んでいる暇もなかった。なるようになる」
「真剣に落ち込んでいる暇もなかった。なるようになる」 能登半島地震から、まもなく1年。復興へ向けた“歩み”が始まったものの、石川県珠洲市では人口の減少が続いています。2024年12月、『中京テレビ』佐野祐子アナウンサーが、能登半島地震の“現在地”を取材しました。
2024年12月、崩れたままの家屋
2024年12月、石川県珠洲市。地震で崩れた見附島。珠洲市の観光名所のひとつです。1年が経とうとしても、海岸線は、壊れたままです。 佐野 祐子アナウンサー: 「石川県珠洲市宝立町です。元日の地震から、1年が経とうとしています。1月私はこの場所を訪れているんですが、その時には、ひび割れてガタガタだった道路が舗装されています。少しずつ前に進んでいるんだなと言うことも感じます。建物は、依然として、この通りはまだ崩れたままの家屋が多く残されています」 地区では、倒壊した住宅の解体が行われていました。
佐野アナウンサー: 「半年前には動いていなかった重機が、至るところで動いていて、解体作業が進む一方で、まわりを見わたすと、本当に1月から時間が止まったように、たたずんでいるお宅もあって、時間の進みが本当に印象的ですね」 2024年1月5日、佐野アナウンサーは宝立町を取材していました。
佐野アナウンサー: 「ちょっともう、ほとんど元の道路がわからないくらい建物が倒壊しています。倒れてしまっています。みなさんのここで生活していたんだっていう家財道具であったり、生活の様々な道具がこうして外に出ているのを見ると、本当に胸が痛みます」 倒壊した住宅。 突き出たマンホール。 町は一変しました。
佐野アナウンサー: 「珠洲市の海の近く河口付近。車に海藻のようなものが多くついていて大破しています。その反対側、これ車が車に乗り上げて重なっていますね。地震の揺れではこうはならないと思うので、津波の影響でしょうか」 発災直後、この地区でも、消防の隊員たちが活動していました。