【特集】能登半島地震からまもなく1年、石川県珠洲市の“現在地”を取材 動き出す復興への歩み「真剣に落ち込んでいる暇もなかった。なるようになる」
2024年12月。 佐野アナウンサー: 「こうして歩いていると、街並みはこの辺りは大きく変わっています。更地になっていたり、建物が取り壊されているところも多くありますね。この、道の真ん中に突き出たマンホールがあるんですが、このマンホールは1月からこのままです。道路の真ん中で、1メートル以上突き出ているんですが、1年経ってもそのままです」
持ち寄った食材で炊き出し「自分の力で頑張る」
2024年1月、珠洲市宝立町。この日出会ったのは、宝立町に住む中島由起さん。母親の英子さんと、倒れかけた自宅から、必要なものを運び出していました。 このとき、由起さんが気にかけていたのが、飼っていた猫「ノラ」。発災後から行方がわかっていません。
発災直後、中島さん親子は高台の学校に避難。そして、その後は別の学校へ。生活の拠点を転々とする日々が続いていました。 2024年12月、発災後に訪ねた多田進郎さんのもとを再び訪れました。発災当時、避難所運営の代表を務めていた多田さん。能登半島地震から1年となるのを前に、年明けに発行する公民館だよりに載せる文章を練っていました。
Q.避難所には大体何人? 多田進郎さん: 「正確にはつかめていませんが、1月1日の最初で一挙に720人。それから増えていって、一時は800人近くにあったのかな。人口は少ないんだけど、1月1日で帰省していた人がいたので」 Q.みなさん食事はどうしている? 多田さん: 「全部作って」 避難所では、近隣から持ち寄られた食材を使って、炊き出しが行われていました。
多田さん: 「自助共助公助とあるんだけど、こういうのを乗り越えていくときには、やっぱり助け合いも必要だし、力も借りなきゃいけないけど、まず自分らの力でなんとか、今できることをなんとかやっていこうという、メンタルな部分は大事かなとつくづく感じた。不平というか、そんなことをいうのは簡単。まずは人の力は借りないで、ここで自分の力で頑張っていこう。ひとりじゃないよ、被害を受けた同じ恐怖体験した者が集まっているという。それが力になったんじゃないかなと」