【特集】能登半島地震からまもなく1年、石川県珠洲市の“現在地”を取材 動き出す復興への歩み「真剣に落ち込んでいる暇もなかった。なるようになる」
校庭に仮設住宅、続く断水と入浴支援
発災から半年を前にした2024年6月。宝立町の街並みに大きな変化はありませんでした。 学校の校庭には、仮設住宅が建てられましたが、校舎の中での避難生活が続く人も。周辺では断水が続き、自衛隊の入浴支援も続けられていました。
多田さん: 「29地区あった地区が今ポツポツバラバラ。行ってしまったり帰ってこなかったり。その地区そのものが、前の状況ではなくなっている。いろんな感情があって、住もうか、どうしようか、慣れ親しんだ地域。住みたい。住むにはどうしようか、そういう課題もある」
2024年6月24日。この時点で、石川県内で解体が完了していたのは、4.4%でした。
2024年1月に出会った、中島由起さんの自宅も未解体。由起さんは、「7月中ごろにできればいいが、わからない。まだ決まっていない」と状況を話します。 出会った当時に探していた、飼い猫「ノラ」もまだ見つかっていません。 畑仕事が日課だったという、由起さんの母・英子さん。今も毎日、自宅のはなれの裏にある畑に通っているといいます。
「玄関とか。仏さまに供える花植えてあったんです。秋になったらハクサイ、ダイコン、カブを植える」と、畑で咲いた花を手に発災前の様子について話す英子さん。続けて、「ここに生まれて、ここに育ってここが好き。どこも行きたくない」と、故郷への思いを語りました。
中島さん親子は、2024年5月から“みなし仮設”で暮らしていました。 由起さん: 「この先といったらよく自分でもわからない。どうしようと。本当にわからない。復興と言われても」 発災半年、復興への道のりは...。
2024年10月、石川県内の解体の進捗率は23.9%
2024年11月、英子さんはこの日も畑仕事です。近くで暮らすネコの「ナナ」の世話もしています。 英子さん: 「津波来たから、すぐにはできなかった。夏食べるものはできなくて、それでも、ダイコンはいいのができたなって。ネギもまあまあ、そこそこかな」
7月中ごろといっていた自宅の解体は、まだ始まっていません。ノラも見つからないままです。 英子さん: 「更地になって、ちゃんとしないと、やっぱり、前に進まない。やっぱりなくならないと。あのままだったらさみしい。涙出るだけ。困っているということは、家がないことくらい。やっぱり自分の家が欲しい、小さくても」