ライトを通じた近代建築の成立過程の描き直し。藤村龍至評「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」
ライトを通じた近代建築の成立過程の描き直し フランク・ロイド・ライトの展覧会が開催されると聞いて、少し懐かしい感じがしながらも、あまり深く考えずに訪ねて、その充実度に驚いた。わが国で本格的なライトの展覧会が開催されたのは、1997年に伊勢丹美術館ほかで「フランク・ロイド・ライトと日本展 世界的建築家の大いなる遺産」が実施されて以来26年ぶりとのことである。91年にもセゾン美術館を皮切りに京都国立近代美術館、横浜美術館、北九州市立美術館を巡回した「フランク・ロイド・ライト回顧展」が開催されたとのことなので、わが国では1990年代以来のライトへの注目である。 なぜいまフランク・ロイド・ライトの回顧なのか。展覧会のタイトルには「帝国ホテル二代目本館100周年」が謳われているが、ひとつの契機となったのは2012年にフランク・ロイド・ライト財団からニューヨーク近代美術館およびコロンビア大学エイヴリー建築美術図書館への、5万点を超える資料の移管がなされたことである。移管を機に、ライトの残した図面や模型などの資料についての調査研究が進展し、2017年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で「ライト生誕150年 特別展」が開催され、再評価の機運が高まった。 パナソニック汐留美術館 は早くからこの動きに着目し、2020年から今回の展覧会の企画を開始、粘り強く出品交渉を重ねたことで「帝国ホテル二代目本館100周年」となる23年に本格的な回顧展が実現し、結果的に4半世紀ぶりにライトの展覧会を目撃することとなった。冒頭でなぜか「懐かしい」という感覚を抱いたのは4半世紀前のライトの仕事を縦覧したいくつかの展覧会の盛り上がりを思い出したからであろう。 では、90年代の展覧会と今回のそれにおいて、何が異なるのであろうか。91年の回顧展の趣旨文を短く振り返ると、 ・ライトの作品は日本人にはなじみ深いが、世界的にはル・コルビュジェやミース・ファン・デル・ローエと比べると評価は決して高くない ・しかし、ライトの作品には建物だけではなくその内部空間・家具などのデザインをも行うことで、イギリスの「アーツ・アンド・クラフツ運動」の流れを魅承しつつもそれとはそれとは異なる工業化を肯定する視点を提供していた ・それはすなわち近代建築そのものの見直しに他ならない 京都国立近代美術館 「フランク・ロイド・ライト回顧展」趣旨文より一部引用(https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/1991/222.html) というもので、全体的なトーンとしては近代主義の発端となったヨーロッパ由来のコルビュジエやミースに評価として劣るという前提に立ったうえで、近代建築への批判を行うためにサブストリームとしてライトを再評価するというものであった。 今回はどうだろうか。メインタイトルは「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築 」である。7つのセクションのうち、会場の中心に据えられたのはセクション4「交差する世界に建つ帝国ホテル」であり、ここを中心として他の6つのセクションを回遊できるように設計され、「帝国ホテル二代目本館」が文字通り「世界を結ぶ建築」として位置付けられているかのようである。 ヨーロッパを中心として起こった近代主義の潮流では、アメリカはあくまで周縁であった。アメリカの建築家が日本で実現したホテルが「世界を結ぶ」とは大胆な見方であろう。ただし、今回はライト財団だけではなくニューヨーク近代美術館およびコロンビア大学エイヴリー建築美術図書館が関わっている。1920年代の末、コルビュジエやミースの建築を「インターナショナル・スタイル」として紹介し評価を確立したのもほかならぬニューヨーク近代美術館であった。 豊富なドローイングはライトのアイデアのルーツを明らかにする。セクション1「モダン誕生 シカゴ─東京、浮世絵的世界観」では、ライトが1893年のシカゴ万博で日本文化にふれ、浮世絵に感銘を受けたことは有名であるが、そこで考案した建築ドローイングが展示される。セクション2「『輝ける眉』からの眺望」では、ライトの自邸兼スタジオの名前「タリアセン」(ライトの祖先が話したウェールズ語で「輝ける眉」の意)で「有機的建築」というコンセプトがアメリカ中西部を象徴する平原や原生植物から着想されたことがドローイングによって示される。 ライトのイメージを塗り替えるべく力を入れているのは、実物大ユーソニアン住宅の原寸モデルが展示されたセクション5「ミクロ/マクロのダイナミックな振幅」だろう。地域に根ざした材料を用いるいっぽうで、コンクリートの持つ一体性に着目し、他方で「ユーソニアン住宅」のようなユニバーサルな建築システムも探求するというライトの二面性が示される。セクション6「上昇する建築と環境の向上」では、樹木の基本構造にならうタップルート(主根)構造を採用した「ジョンソン・ワックス・ビル」研究タワーなどを例に、水平への志向が強いとされるライトの、垂直を志向する側面を浮かび上がらせる。 これまでの描かれてこなかった新しい側面としては、セクション3「進歩主義教育の環境をつくる」とセクション7「多様な文化との邂逅」が挙げられるであろう。前者ではライトが家庭生活や教育のあり方の変革に取り組んだ女性運動家たちともネットワークを形成したことを示す資料が、後者ではライトとアメリカ国外の作家たちの交流やイスラム文化との出会いから生まれた「大バグダッド計画」など都市プロジェクトが紹介される。ポスターのメインビジュアルがこのプロジェクトであったことからも、今回の展覧会の趣旨が「世界を結ぶ」、すなわち日米に閉じない、グローバルな動きを体現する建築家像の提示にあったことがうかがえる。 このようにライトの全貌を振り返りながら、展示の終盤で思い浮かんだのは、同時期に東京国立近代美術館、佐川美術館、名古屋市立美術館で開催された「 ガウディとサグラダ・ファミリア展」のことであった。同展で中心に据えられた「サグラダ・ファミリア」と「帝国ホテル二代目本館」は描かれ方がよく似ているように思える。 前者はいまだに工事中、2026年に竣工間近の建築であり、工事現場の様子やサンプルなどによってライブな展示を行っている。後者は竣工後100年が経ち、主に図面や模型でしか振り返る術はない、取り壊されてしまった建築である。だがともに総合芸術としての建築であり、「有機的建築」を謳っており、キャリアの初期に万博が重要な役割を果たす点など、展覧会での2人の建築家の描き方に似ている点が多い。考えてみればアントニオ・ガウディ(1851~1926)とフランク・ロイド・ライト(1867~1959)の生年の差はわずか16年しかない。 またライトはミース・ファン・デル・ローエ(1886~1969)とは19年の差であるから、いかにも19世紀的なガウディと20世紀的なミースのあいだにライトを立たせ、「世界を結び直す」こともできるかもしれない。ニューヨーク近代美術館で「インターナショナル・デザイン」展が開催されてミースの評価が高まるのは「帝国ホテル二代目本館」が竣工した1923年のわずか6年後の1929年である。ライトの「グッゲンハイム美術館」(1959、ニューヨーク)とコルビュジエが無限成長建築をめざした「国立西洋美術館」(1959、東京)が同時期であることに注目しても面白いかもしれない。 1990年代の展覧会でのライトの描かれ方は、あくまで近代建築の批判を担う可能性を秘めた、周縁の建築家であった。今回の資料移管に伴う調査研究や展覧会により同時代との応答が明らかにされることで、ライトを通じた近代建築の成立過程の描き直しが行われ、西欧中心の近代建築史にとって周縁であったバルセロナや東京の現場がそれらのエピセンター(震源地)であったととらえることもできるのかもしれない。そんな想像を膨らませてくれる展示であった。
文=藤村龍至(建築家・東京藝術大学准教授/RFA主宰)