「再生のモデルは新興国にあり」──文明の大転換に取り残される日本
文明の大転換に置いていかれる日本
3月にフィンランドからバルト三国を訪れたのだが、思いのほか情報化が進んでいるようであった。 象徴的なのは、中国でも、東南アジアでも、北欧でも、急速にキャッシュレス経済が進行していることである。 便利であるばかりでなく、税務などの面で社会が効率的に運営されるメリットがあるのだが、日本ではあまり進まない。昔からクレジットカードが普及しない国といわれていた。最近は交通系のICカードが普及しはじめたが、これは定期券の感覚でプリペイドという安心感があるからだ。タンス預金が多く、投資にまわるお金が少ないということも、同じ国民性から来ているのではないだろうか。 実をいえば僕も、僕の友人たちも、キャッシュレス社会、特にビットコインなどには大きな抵抗がある。ものづくり立国に努力してきた世代は、どうも情報や金融という分野の急速な進展についていけないところがあるのだ。 つまり大げさにいえば、世界は電子経済に移行しているのに日本だけが貨幣経済のままということだろうか。ひょっとするとわれわれはいつのまにか、文明の大転換に置いていかれているのかもしれない。
「自国の遅れの認識」と「外国に習う気概」
先に、KYBの検査データ改ざん問題に関する記事で、日本のことを「過剰管理社会」と書いたのだが、これに対するコメントで「日本は江戸時代に戻った」という意見があった。賛同できるところがある。 たとえば福沢諭吉の自伝『福翁自伝』は、『フランクリン自伝』に似た名著で若い人に薦めたい本だが、明治人の進取の精神をよく表している。江戸時代のサムライ階級が、評定(会議)ばかりしていて何も決められない、建前と前例にこだわって現実的な改革ができないことが、具体的に記されているのだ。つまり江戸から明治への転換は、形式主義から機能主義への転換であった。そのためには幕府時代をつうじて過剰管理におちいった社会制度をいったん御破算にする必要があったのだろう。 今の日本は、明治時代の始まりから150年が経過し、社会制度があまりにも細密化して自由がきかない。江戸時代と同様に形式化して機能的に動かなくなっているのではないか。途中、敗戦による社会更新があったものの、1990年代初頭のバブル崩壊以後は、政治改革も、行政改革も、遅々として進まない。思い切って野党にやらせてみてもうまくいかなかった。 中近世から近代への転換は、農業社会から工業社会への転換であった。 現在が情報社会へ転換するときだとすれば、日本は、工業社会として成熟しすぎているために、新しい時代に対応しにくいのではないか。中国やフィリピンなどを見ていると、むしろ工業化に立ち遅れた若い社会のほうが、対応が進んでいるフシがある。 考えてみれば江戸期の日本は農業社会の優等生であった。識字率が驚くほど高く、精密な文書管理社会であった。工業社会に転換してからは、急速に先進国の仲間入りをし、敗戦の谷底を経験したあと、ものづくりのトップランナーに躍り出た。 つまりここで大変革に成功すれば、やがて情報社会のトップランナーに浮上する可能性がないわけではない。それには明治維新のように「自国の遅れの認識」と「外国に習う気概」が必要だということになる。