「再生のモデルは新興国にあり」──文明の大転換に取り残される日本
「失われた20年」という言葉があります。1990年代初頭のバブル崩壊後、経済の停滞が20年以上も続いたことを言います。今年8月20日のダイヤモンドオンラインの記事によると、平成元(1989)年には世界時価総額ランキングの上位50社中、32社を日本企業が占めていましたが、平成30(2018)年はトヨタ自動車が35位に入るのみ。日本の凋落ぶりは目を覆いたくなるほどです。 移動の「付加価値」は進化する ライドシェアは序の口だ 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「日本は文明の大転換に置いていかれているのかもしれない」と指摘します。日本が新しい時代に対応し、「失われた30年」や「失われた40年」を現実にしないためには、どうすればよいのでしょうか。若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
「日本だけが遅れている」 中国人ドライバーのつぶやき
「世界はみんなやっている。日本だけが遅れている」 あるテレビ番組で中国人ドライバーが言い放った。 北海道を訪れる中国人観光客が中国人の白タクを利用しているというドキュメンタリー。当然ながら番組のつくりは白タクという犯罪的な行為を厳しく追及するスタイルで、執拗につきまとう取材陣に辟易したドライバーが小声でつぶやいたのだ。 「悪い奴が何を偉そうに」というのが大方の視聴者の感覚だろう。 しかし僕は少し前に海外で白タク(いい方がよくないが)を利用した経験があるので、この言葉が引っかかった。 中国人観光客に、悪いことをしているという意識はない。取材者の質問にニコニコして答えている。彼らは中国の旅行社の指示どおり、つまりルールどおりに動いているのであり、ちょうど小グループの人数が乗れるワゴン車と中国語がつうじるドライバーはガイドを兼ねていて、便利なのだ。一方、白タクのドライバーは日本で暮らしているから、それが違法であることを理解していて、取材者の質問に「友達だから」と答えて黙々と仕事をする。友達なら違法でもなく、やはり悪いという意識はないようで、その思いが言葉になって出たのだろう。