「再生のモデルは新興国にあり」──文明の大転換に取り残される日本
時代はシェア社会へ向かう
先月、フィリピンのボホール地区で行われた日比両政府による防災プロジェクトに参加した。 チームリーダーが比較的若い人だったので、空港からホテルまで「ウーバー」というスマホアプリを使って白タクを呼ぶ。その方が早くて安くて、空港やホテルのタクシー係も当然のように対応している。その経験があったので、前記のテレビ番組における「日本だけが遅れている」発言に「そうかも…」と思ったのだ。 時代は「シェア社会」に向かっているようだ。 車も、家も、空いているときは他人に使ってもらって金銭の授受をするのが世界の常識になりつつある。インターネットによる緊密なコミュニケーションがそれを可能にしている。つまりインターネットが、メールやSNSといった単純な通信として使われるだけではなく、社会制度も、経済構造も、所有の概念も変えつつあり、良し悪しは別として、多くの国でその変革がドラスティックに進んでいるのだ。 日本では、無許可営業として取り締まりの対象になるものも、インターネットによる接触と了解を友人関係とみなせば話は変わってくる。昔は、親戚や友人や近所づきあいの中で、そういった「互助と融通」によって社会が運営されてきたのだ。すべてを営業行為として取り締まるのは近代社会の過剰管理であるかもしれない。 また今日、あらゆる産業から排出されるCO2が地球温暖化の元凶であるなら、シェアによる車や家といった資源の有効利用はむしろサステナブルであり、文明論的な正義でさえある。
ドゥテルテのフィリピンは元気
防災プロジェクトの幹部メンバーはすでに20回以上も訪比し、かなり長い間フィリピン社会の変化を、それもマニラだけでなく地方の村々の変化を感じているのだが、ドゥテルテ大統領になってから街並みが格段ときれいになり、浮浪者も見られなくなったという。道路も橋も建物も次々と建設されているという。マニラではいたるところにクレーンが林立し、地方の村々で防災訓練をする人々も元気がある。 日本のマスコミから受けているドゥテルテ大統領の印象も変わらざるをえなかった。 フィリピンのトランプともいわれ、その犯罪対策、特に麻薬対策は、容疑者を裁判にかけずに処刑するという超強硬策で、国連から人権侵害を指摘されていた。しかし実効は上がったようで、現在はだいぶ緩和されている。今は「ビルド、ビルド、ビルド」つまり「建てて、建てて、建てまくれ」というのが標語で、インフラ建設が進み、高い経済成長率を維持している。外交では、南シナ海の問題を抱えながらも、アメリカと中国のバランスを巧みにとっている。フィリピンの現実には、彼のようなキャラクターが合っているのかもしれない。