日本は「隠れたハラスメントがとても多い」といわれる「驚きの理由」…現代社会に残る「喧嘩両成敗」的発想
「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視… なぜ日本人は「法」を尊重しないのか? 【写真】「日本の司法は中世並み」…日本人が「法に関する感覚」にうとい納得の理由 講談社現代新書の新刊『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。 本記事では、〈「日本の司法は中世並み」…法律家以外の多くの日本人が、「法」にも「法に関する知識・感覚」にもうとい「納得の理由」〉にひきつづき、古代からの日本法の歴史とその特質についてくわしくみていきます。 ※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです。
西欧法の概要と日本法との相違
日本法の歴史と特質について考える場合、明治時代以降に移入された欧米法との相違を念頭に置いておく必要がある。 そこで、まずは、日本を含む非西欧世界の法と対比しての、英米法をも含めた西欧法の歴史、特質、骨格について、簡潔に整理しておこう(以下、この章の記述については、浅古弘ほか『日本法制史』〔青林書院〕を始めとする法制史関係の書物、比較法思想史学者、法人類学者千葉正士の研究成果である『世界の法思想入門』〔講談社学術文庫〕を参考にさせていただいた)。 西欧法の淵源はローマ法にあるといわれる。実効的な私権の体系を築き上げ、契約、物、所有と占有、責任、親子、相続、遺言等の基本的な法的概念、また、権利実現のための訴訟手続を確立したのが、ローマ法だったからである。さらに、法学や法曹もローマで生まれた。 しかし、西欧法思想という観点からみると、ギリシア哲学が、すでに、国家、法、正義等のより基本的な法哲学的概念を作り上げていたことも、それに劣らず重要である。また、キリスト教が、神の前ではすべての人間は平等であるとの思想から、普遍的でありかつ不変の法としての「自然法」の概念を確立していたことについても、同様である。 以上のような背景の下に、ヨーロッパでは、ローマ法を源流とする世俗法が教会法とからみ合いながら発展してゆき、ルネサンス、宗教改革、絶対王政の時代を経て、西欧近代法が成立した。 西欧近代法の「思想的基盤」についてみると、文化全般の場合と同様、キリスト教の影響が強く、普遍的な理念の強調がその大きな特色といえる。そして、その背景には、精神面では、分厚いギリシア哲学の伝統が、実務面では、壮観な体系を成すローマ法の伝統があったということになる。 こうして概観しただけでも、「正義、平等を指導原理とする『権利の体系としての法』」という西欧近代法の骨格、その頑強さと合理性が、また、それがおおまかにいえば近代法の世界標準として浸透していった理由が、よくわかるだろう。 明治以前の日本法と比較すると、権利ことに私権の明確性、法学や法曹の発達、権力との対峙という意味をも含めての普遍的理念の強調といったところに、際立った相違がある。本書でも随時ふれるとおり、江戸時代以前の日本法には、権利という一般的な概念自体がなく、個人の私権は重視されなかった。法曹はもちろん、法学も未発達だった。また、普遍的理念についての認識や感覚が薄いのは、『現代日本人の法意識』第1章でもふれたとおり、現代の日本についてもなおいえることである。 こうした日本の法思想の特質につき、前記『世界の法思想入門』は、「アメーバ性法思想」と表現する。大本の規準となる典拠(聖典、基本法典等)をもたず、「個体性の維持を目的および条件として現実の環境に応じ柔軟に対応する状況主義の法思想」であり、融通性に富む現実対応という点ではメリットがあるが、一方、普遍的原理・理念の契機が弱いから思想的雑居性を招きやすいという。この指摘はおおむね当たっていよう。