食を通じて強い心、負けない心をつくっていく。フードクリエイターが目指す未来。
高松市のサロンで離乳食イベントを行うひとりの女性に出会った。mom's(マムズ)の代表たがみまきさんだ。 イベントの様子 マムズでは食材の鮮度はもちろん、無添加、手づくりにこだわった離乳食・幼児食を製造・販売している。素材をすべて「手切り」し、飲み込む力や噛む力など成長に応じた調理方法を徹底。それゆえ、マムズの離乳食・幼児食は50g入り400円~と決して安くはないが、本物志向の人たちに選ばれている。そんなスペシャルな離乳食を手がけるたがみさんに話を聞いた。 たがみさんは東京在住。キッチンを高松市においてあるのは、出身地であることと瀬戸内の海の幸、山の幸のポテンシャルの高さを実感したからである。特に離乳食は素材の味が命。鮮度の高い良い食材を使えば、調味料を足さずとも滋味深い味わいになるのだ。 年上と思っていた人がまさかの同い年!食の大切さを実感したインドネシアでの経験 結婚後、夫の転勤に伴い、日本だけでなく海外生活も経験したたがみさん。 なかでもインドネシアでの出来事は食の大切さを見直すきっかけになった。 「赴任ファミリーには専属の運転手がつくんですが、おじいさんだと思っていた運転手が私と同い年(当時43歳)だったんです。かなり年上だと思っていたのでびっくりしました。真っ黒な油で揚げたテンペ、直射日光にさらされた魚や肉…。食が大きく関わっていると思いました」 食の感性を育てた環境や背景が、アイデンティティとなり動き始める 専業主婦として約20年間、家族の食事を守ってきたたがみさんにとって、食はもっとも大切にしてきたことのひとつだった。体にいいもの、鮮度の良いものを厳選して食卓に並べた。そんな食を大事にする姿勢は、少なからず育った環境が影響している。 「グルメな父には、ときどき外食に連れて行ってもらっていたし、母は食卓に何品も並べてくれていました。そういう環境も影響しているかもしれませんね」と話してくれた。 育った環境、日々の食卓を守ってきたというたがみさんのアイデンティティは、自身の運命をどんどん切り開いていく。 帰国後、手作り調味料のワークショップを東京のアトリエで開催。2019年の瀬戸内国際芸術祭では玉野市のお弁当「たまべん」4000食を手がける。この経験がたがみさんのターニングポイントになった。 「お弁当はコンセプトから考えました。地域の特産を入れたり、玉野市の玉から丸をモチーフにして、ご縁を大切にという意味も込めたりして」 イベントは大盛況のうちに終了した。 忙しい共働き世帯を、離乳食・幼児食でサポート さらに、たがみさんを突き動かす出来事があった。それは友人の家で見た“仕事に家事に育児にと奮闘する、慌ただしいママの姿”だった。 「産後仕事復帰した友人の姿に衝撃を受けました。ママが忙しいと子どもの食はどうなるんだろうと、元来の“おせっかい”な気持ちがむくむくと湧き上がってきて…。食でなにかお手伝いできないだろうかと思ったんです」 そこで浮かんだのが離乳食だったのだ。 「食事って最初が大事です。人は食の旅をしています。本物を食べていたらいつかは戻ってくる。はじめからポークエキスが豚肉だと思わせるような食事をさせてはダメだよ!という気持ちがあります」と。 “共働き世帯の時間的貧困を冷凍離乳食・幼児食でサポートする”と、たがみさんの気持ちは固まった。 キッチンは旬の食材が揃うふるさと高松に置き、製造したものはネット販売で全国に発送する。評判が人を呼び、販路も広がった。今では高松市のふるさと納税返礼品としても人気を誇っている。 離乳食製造は、働く人の心を輝かせるという副産物を生んだ さらに、キッチン運営は意外な副産物も生んだ。 雇用した人のなかには83歳の女性がいるが、再び社会と繋がることでイキイキと元気になり、引きこもり気味で社会と距離を置いていた男性が、少しずつ社会に馴染んでいく姿には感動すら覚えたという。 「男性は食に対して無頓着で、食べるものは何でもいいというスタイルだったようなんです。でもあるとき、パック詰めで残ったものを食べてごらんと促すと“おいしい”とぽつり。その言葉を聞いてこの子は大丈夫だと思いました。その後、イベントでは赤ちゃん相手に手を振るしぐさも見せてくれて、変わっていく彼をうれしく見ています」 「食は人を変えられる」という信念を強くしたたがみさん。 今後の夢について、次のように話してくれた。 「食を通じて強い心、負けない心をつくっていくこと。食にはそんな力があると信じています。料理人でも料理家でもない私がこの仕事をしているのは、そんな使命感にも似た気持ちがあるからです」
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