物議を醸した“南関東7車連係”に帝王・山田裕仁氏が見解「ファン目線では面白くないと思うが致し方なしか」/小田原競輪G3決勝
決勝は南関7車VS脇本-阿部の混成ライン
結局、地元・神奈川勢は決勝戦に大挙6名が勝ち上がり。しかも、ひとつのラインにまとまっての勝負を選択しました。先頭を任されたのは新村穣選手(119期=神奈川・30歳)で、番手は北井選手。松井選手は、選手生活で初となる3番手を回ります。郡司選手が4番手で、和田選手が5番手。そして6番手を回る松坂洋平(89期=神奈川・42歳)の後ろに、同じ南関東の鈴木裕選手(92期=千葉・39歳)がつきます。
もうひとつのラインは脇本選手が先頭。番手には、これが初連係となる阿部拓真選手(107期=宮城・33歳)がつきました。ラインができたこと自体はプラスに働くでしょうが、いくらデキがよさそうな脇本選手といえども、7車と2車の二分戦はさすがに分が悪い。しかも脇本選手は、この相手でも「タテ脚での真っ向勝負」を選ぶでしょうからね。捌かれるリスクがないというのは、南関東勢にとってかなり大きいはずです。 この「南関東7車連係」は、ファンの間でも大きな話題となったようですね。しかも、やろうと思えば二段駆けどころか、三段駆けや四段駆けまで可能な並び。競輪が個人戦ではなくチーム戦である以上、普通に考えれば初日特選と同様、南関東勢の圧勝でしょう。では果たして、実際に決勝戦はどのような展開となったのか…それではそろそろ、レース回顧に入っていくことにしましょう。
1番車の郡司がスタート決め南関勢が前受け
レース開始を告げる号砲が鳴ると同時に、いいダッシュをみせたのが1番車の郡司選手と、4番車の阿部選手。ここは内の郡司選手がスタートを取りきって、南関東勢の前受けが決まります。新村選手が先頭に立ち、脇本選手は後方8番手からという、予想された通りの初手の並びとなりました。そして、青板(残り3周)周回のバックで先頭誘導員が離れると同時に、新村選手が前へと踏み込みます。 一列棒状のままで赤板を通過して1センターを回って、バックストレッチに進入。そして、レースが打鐘を迎えるのと同時に、後方の脇本選手が仕掛けました。しかし、その急加速に番手の阿部選手はついていけず、打鐘後の2センターでは進路を内に切り替え、空いていた南関東勢の懐に突っ込んでいきます。ここで先頭の新村選手が力尽き、2番手の北井選手に早々とバトンが渡されました。 捲りにいった脇本選手が外からジリジリと差を詰め、和田選手の外併走で最終ホームを通過。内に進路をとった阿部選手は、松坂選手の内を併走しています。最終1センターを回ってバックストレッチに入ったところで、外の脇本選手と内をついた阿部選手がそれぞれ和田選手の前に出ますが、ここで脇本選手は力尽きて失速。内の阿部選手は和田選手を捌きにいくも、こちらもここで脚をなくしてしまいます。 これで、ライン戦における南関東勢の勝利が確定。しかし、後方から迫っていた脇本選手のプレッシャーに反応したのか、番手にいた松井選手が仕掛けて、まだ脚が残っていそうな北井選手に外から迫ります。最終3コーナーでは、北井選手と併走でもがき合う態勢に。その直後には郡司選手が追走し、少し離れて和田選手や松坂選手が続くという隊列で、最終2センターを回ります。 ここで松井選手が先頭に立ち、内で粘る北井選手と外の郡司選手がその直後を併走。その後ろからは和田選手が差を詰め、前の4車が一団となって最後の直線に向きました。松井選手の早仕掛けによって、絶好の展開となった郡司選手。松井選手との差を少しずつ詰めて、キッチリ差し切ったところがゴールラインでした。昨年に続く連覇達成で、小田原記念はこれで通算5回目の優勝となります。 2着は松井選手で、接戦となった3着争いは和田選手が競り勝っていましたね。ライン3番手~5番手で決まったというのもあって、3連単は5,220円と意外なほど高い配当となりました。阿部選手が7着で脇本選手は8着という結果で、“最強”と称される存在であっても、ここはやはりキツかった。脇本選手としても「この条件下でやれることはやった」という気持ちが強いでしょうね。