あの2004年のときと23年は違った 岡田彰布へ星野仙一から「次はお前や。それで平田のことやけど…」
連覇に挑む、阪神タイガース・岡田彰布監督。明快な言葉力で人を動かす名将の、チームづくりには迷いがない。その時々のメンバーに合わせたチーム方針を見定め、先を考え戦っている。阪神監督に初めて就任した2004年と日本一を果たした2023年。違いはどこにあったのか。ベストセラーとなっている岡田監督の自著『幸せな虎、そらそうよ』(ベースボール・マガジン社刊)より抜粋、編集してご紹介しよう。 【選手データ】岡田彰布 プロフィール・通算成績
星野監督から「力を貸してくれ」と告げられた
阪神の監督に最初に就任したのは2004年シーズンからやった。そのときのことを思い出すと、2023年とは大きく違った感覚があった。それを伝えたいと思う。 あれは2003年、リーグ優勝を果たした直後やった。当時の監督は星野仙一さん。就任2年目で阪神を18年ぶりの優勝に導いてもらった。オレはそのとき、内野守備走塁コーチでゲームでは三塁コーチャーズボックスに立っていた。 実は星野さんとの関わりはその2年前からになる。2001年のオフ。当時阪神の選手、上坂太一郎の結婚披露宴が名古屋であった。オレはその頃は二軍監督として出席。すると、なんの前触れもなく、星野さんが突然、姿を見せたのだ。すでに次期監督に内定していたこともあり、まさにサプライズ演出やったわけで、そのときに星野さんに呼ばれた。 「あとで部屋に来てくれ」。現役時代に対戦したことはあるけど、個人的な会話はしたことがなかった。さてさて、何を言われるんやろうと、部屋を訪ねると……。「今度、監督をすることに決まった。ついてはオレは阪神のことが分からん。一番阪神のことを分かっているのがお前や。だから力を貸してくれ」と告げられた。 そういうこともあり、2002年は二軍監督だったが、2003年は一軍コーチになったわけ。そら怖かったよ。コーチにはホンマに厳しかった。でもオレは怒られたことがなかったわ。三塁コーチの役目にも「お前の判断にすべて任せる。思い切ってやってくれ」と告げられただけ。本塁への走塁でアウトになるケースもあったけど、一度も怒られなかったな。