伊那谷楽園紀行(6) 霧の晴れる谷の中へ
駅寝をした者は始発で去ること。それは、古くから伝えられている大切な原則。その通りに、夜が明け始めた頃に目覚めて、身支度を整えた。駅舎から外に出ると、夜遅くまで降り続いた雨は止んでいた。眼下を流れているはずの天竜川には霧がかかり、水の音はしても水面はまったく見えなかった。 始発汽車が到着するまでの間、目の前の情景をずっと眺めていた。少しずつ、日が高くなるにつれて、霧は晴れていった。霧の向こうには、天竜川の力強い流れがあった。 諏訪湖から流れ出してから伊那谷を通り、遙か太平洋へと注いでいく、川の流れを見ていると、俄然として、やはり物書きで身を立てなければならないという思いが湧いてきた。すぐにでも東京に戻ろう。そんな熱気が湧いてきたのと同時に、始発汽車がホームに入ってきた。 きっと、これから何度も、この谷へとやってくることになるのだろう。なぜか、そんな予感がしていた。