新型コロナ禍ショック…なぜJ3開幕を目前に久保建英、中島翔哉を輩出したFC東京U-23は参加辞退を決めたのか?
「西が丘においてはサッカー競技の他の団体、なでしこリーグ、社会人リーグ、大学や高校サッカーの日程が集中してきます。駒沢においては陸上をはじめとする、他の競技団体との使用日程との競合になってきます。また、夢の島においては東京オリンピック・パラリンピックとの関係で、今シーズンに使用できるかどうかが不透明になっている状況もあり、今回の判断に至りました」 Jリーグを優先的に使用させてほしいとも、あるいはサッカー競技を最優先として調整してほしいと主張するわけにもいかない。 一方でシーズン途中の脱退は認められないとJリーグ規約で謳われていることもあり、断腸の思いで開幕日が決まった直後のタイミングで最終的な決断を下した。 かねてから若手を中心としたセカンドチーム構想を抱いていたFC東京は、ガンバ大阪、セレッソ大阪とともに、2016シーズンからU-23チームをJ3リーグに参戦させてきた。出場機会が少ない若手選手だけでなく、高校生年代のFC東京U-18所属のホープを積極的にプロの舞台で起用してきた。 FC東京U-18の人数が足りなくなれば、中学生年代のFC東京U-15の有望株を、いわゆる飛び級の形で卒業を待たずに昇格させる。中学や高校という既存の学校教育システムの枠にとらわれず、優秀な人材をどんどん上のカテゴリーに引き上げてきた育成方法のなかで、久保も中学3年生だった2016年11月にU-23チームの一員として、J3の舞台でデビューを果たしている。 J3リーグにおける戦績を振り返ってみれば、順位がひと桁になったシーズンも、勝ち数が負け数を上回ったシーズンもない。それでもFC東京にとって有意義な4年間だった、と大金社長は言う。
「厳しい環境でしたけど、真剣勝負する場は成長するために必要だと実感しました。選手たちがステップアップしていくためにもすごく有効でしたし、ユースやジュニアユースの選手たちの刺激にもなりました。J3での戦いはなくなってしまいますが、若い選手たちにとってはJ3が目標ではないので。J1で戦う11人にのし上がる、というモチベーションをもってほしいと選手たちには伝えました」 今シーズンのJ3リーグは、19クラブという奇数で開催される予定だった。JリーグはJ3の上限を20に定めていて、下部リーグのJFLにJ3参入予備軍が控えている状況と合わせて、今シーズン限りでFC東京とガンバ、セレッソが参戦させてきたU-23チームは撤退することが決まっていた。 ガンバとセレッソのU-23チームはスタジアムを確保し、予定通り5シーズン目のJ3に臨む。新型コロナウイルスの影響もあり、図らずも1年早く役割を終える形となったFC東京のU-23だが、大金社長は「今回の件で人員を整理する、といったことはまったく考えていません」と話し、こう続けた。 「(トップチームの)過密日程を考えれば選手層をかなり厚くして、総力戦で臨んでいかなければいけない、とクラブとしては考えています。J3のような公式戦ではありませんが、トレーニングマッチなどを通して、(若手選手たちには)しっかりとチャンスをつかんでほしいと思っています」 今後はJ1リーグだけでなく、決勝トーナメントから出場するYBCルヴァンカップ、そしてアジアサッカー連盟が先に全試合の実施を表明したAFCチャンピオンズリーグ(ACL)に臨む。トップチームのコーチと兼任していたU-23チームの長澤徹監督は前者に専念し、若手選手たちを鍛える役割を担いながら、3シーズン目の指揮を執る長谷川健太監督をフォローしていく。 「このタイミングで辞退を承認いただいたことでJリーグ、特にJ3の各クラブのみなさまには本当にご迷惑をかけたと思っています。感謝の思いしかありません」 大金社長はあらためて、異例とも言える参加辞退に頭を下げた。18クラブ体制になったJ3リーグは節数を「38」から「34」へ、総試合数を「342」から「306」へ、1クラブあたりの試合数を「36」から「34」へそれぞれ減らし、15日の発表へ向けて今シーズンの対戦カードを再編成していく。 (文責・藤江直人/スポーツライター)