「なぜ今治に人が集まるのか」藤井キャスターが“住みたい田舎ランキング1位”の理由に迫る
さらに、菊間瓦を砕いて左官で塗ったトイレの壁に、キッチン側の外壁には今治の造船所で使われていたという足場板も。 藤井キャスター: 「なぜ、今治のものをこれだけお店に集めようと思ったんですか?」 森重さん: 「ヨーロッパのレストランというのは、食事をするだけのスペースじゃない。その地域の産業のプレゼンテーション、そして産物とか色んなものをプレゼンする場所。だからこういった所で、大島で、大島のもの、今治のものを発信していけたら」
今治と同じ瀬戸内の街広島県三原市で生まれ育った森重さん。中学生の頃から、「いつか瀬戸内で自分の店を開く」という夢を抱き、20歳で上京。 フレンチレストランで修業を積んだあと、フランス・パリへ渡ります。4年半、10軒以上のレストランで技を磨き、帰国後は自由が丘のレストランでオーナーシェフとして26年間腕を振るいました。 次の出店場所を探していた時。 森重さん: 「瀬戸内って多島美が有名だけど、あまり島が見えないんですよ。開けた海なんですよ。自分はここを決めたのは、この燧灘が自分が住んでたフレンチアルプスの湖の湖畔の景色に似てて。ここでお店をやりたいと思って」
3年前にこの地に住むことを決断。森重さんが島に来てまず、やったことが2年間の地域おこし協力隊員としての活動です。 森重さん: 「地域に入っていろんなことを地域の方と一緒にやるいろんな問題があれば手伝ってあげたりとかそういったことをやっていました」 藤井キャスター: 「それは何歳の時に?」 森重さん: 「58です。実はそこに年齢制限があって50歳までだったんです」 藤井キャスター: 「じゃあその50を超えてもやりたいですけど!ってお願いしたんですね、その原動力ってすごいですね」
森重さん: 「何か動けば何かが始まりますよね」 藤井キャスター: 「(活動通じて)だんだん顔なじみが増えていったりしてオープンした時からスムーズに入れたんじゃないですか」 森重さん: 「そうですね、みんなに協力してもらっています。今は自分畑も作ってるんですけど自分が水まけないときはいつも撒いてくれる人がいるんですよ」 藤井キャスター: 「そういうやさしさに支えられて美味しい食材ができると」