「必要なものは笑顔だった」生まれつき左腕肘先がないパラ女子砲丸投げ4位・齋藤由希子選手は避難所生活で決意 笑顔のはずがパリパラリンピックで思わず涙を流した理由【ヒーローインタビュー】
今回のヒーローはパリパラリンピック™、女子砲丸投げ4位・齋藤由希子選手。夢の舞台の2年前、長女を出産。母としてアスリートとして、もがき苦しみながらも笑顔で突き進んだ不屈の魂に迫ります。 【写真を見る】「必要なものは笑顔だった」生まれつき左腕肘先がないパラ女子砲丸投げ4位・齋藤由希子選手は避難所生活で決意 笑顔のはずがパリパラリンピックで思わず涙を流した理由【ヒーローインタビュー】 ■砲丸投げとの出会いは? パラ陸上砲丸投げ 齋藤由希子選手: 「これが砲丸投げで使う砲丸です。4kgあります。 片手で持ってクライド投法と呼ばれるステップをして投げています。 (Q、練習は今どれぐらいしていますか?) ゼロです。気持ちはしっかり切れています。切れているのでやめるなら今なんですけど。 たぶん(競技に)戻ってきます」 宮城、そして日本が誇る、砲丸投げの第一人者、齋藤由希子選手。生まれつき左腕の肘から先がなかった彼女ですが、体を動かすことは大好きだったそうです。 砲丸投げとの出会いは気仙沼中学校。指導者にも恵まれメキメキと実力をあげていきました。健常者と同じ練習や試合を行い中学3年生ではキャプテンに選ばれ、県代表としてジュニアオリンピックにも出場しました。 2019年の齋藤由希子選手: 「互角にというか互角以上に戦っているというのが、言わないけど、ちょっとしたプライド。鼻が高くなっているみたいな」 ■高校3年生、生活のすべてを変えた「あの日」 地元気仙沼市に甚大な被害をもたらした東日本大震災。齋藤選手は高校3年生を迎えようとしている大事な時期にあの日を体験しました。 2019年の齋藤由希子選手: 「校舎内にいて部活動のウォーミングアップ中だった。引き波や津波が来る様子を(校舎の)高い位置から見ていた。坂を人が上の方に登っていくのに“津波来ているよ”と叫びながら、みんなで必死に呼び掛けていたのは覚えています。これがどういうことなのかを理解できないまま、いろんなことが次々と起こっていたんですけど、50代の男性の先生は津波が来る様子を見てずっと泣いていた。その後の生活にどういう影響をもたらすのか、大人はわかっていた」