「渡仏して50年」パリで愛される82歳の看板マダムの半生「YouTube で人気に火がついて」
その在学中に、水野正夫さんの手がけたオートクチュールドレスの仮縫いのフィッティングモデルを務めることになりました。そのころ、水野さんに「一度パリに行って、サンジェルマン・デ・プレのカフェテラスに座って、街行く人々を眺めてごらん」と声をかけられ、石井さんはパリへ旅立ちます。 「実際に行ってみて、パリの街並みを行き交うパリジェンヌたちは誰もがみんな、自分の好きな服を着てさっそうと歩いていた。そんな姿を目にして『あぁ、やっぱりセンスにあふれているんだなぁ、歴史がある街なんだなぁ』って感動したんです」
それから約4年後の1973年のある日、パリでバーを営んでいた日本人の友達から「ナミ、手伝いに来てくれない?」と、相談の連絡が。 「当時、私には父が決めた婚約者がいて、その人と結婚してアメリカに一緒に行くことになっていた。彼は家柄もよくてお金持ちのエリート。でも、どうしてもその人と結婚するのは無理だと感じてしまっていて…。だから、縁談を断ってほしいと両親に懇願したんですけど、聞き入れてくれず。そこで、思いきって愛車を売ったお金を手にし、パリへと飛び発ちました。 友達のバーで働けるとはいえ、もちろん最初はまったくフランス語はできなかった。でも、アパートは優しい友達が貸してくれたし、フランス語の先生も紹介してくれて。とっても恵まれていたんですよね」
■パリの左岸で自身がオープンしたバーを21年間営業 両親の反対を押しきって渡仏した石井さんは、その後、バー「マイルーム」をセーヌ川左岸のパンテオンの近くにオープン。そこに足しげく通っていたお客さんが石井さんの心をつかみ、結婚する流れに。石井さんの夫は、ローマの日本大使館で料理人をしたのち、当時パリのレストランで働いていたのだそう。「マイルーム」はとても評判がよく、その後、2007年まで営業を続けました。
2007年に21年間続いた「マイルーム」を閉めたあとは、16区のお弁当屋さんで6年半腕をふるい、石井さんが作るおふくろの味を求めて毎日行列ができていたほど盛況でした。 「そのお弁当屋さんを辞めてからは、しばらく日本に行ったり、夫が住んでいるグアドループ(カリブ海にある島でフランスの海外県)に行ったりして過ごしました。でも、グアドループにずっと住み続けるのはやっぱり難しいと思って、3週間ほどでパリへまた戻ってきたんです。その後、娘のロミの夫でメゾン キツネの創始者、ジルダ・ロアエックから『メゾン キツネがバーゲンセールをするから、手伝いに来て』と頼まれて行って以来、そのまま自然と『カフェ キツネ』で働くという流れになったんですよ」