「亡き友との約束」より「目の前の幸福」…賛否が真っ二つに分かれる「究極の選択」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】「亡き友との約束」より「目の前の幸福」か…賛否が分かれる「究極の選択」 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
約束よりも博愛を!
功利主義はこのように「できるだけ幸福な人が増えるように」と考えるから、法律学の諸原則と衝突することが多い。 たとえば法律学の原則の1つに、「契約は守られねばならない」というものがある。だが、契約の遵守が人々の幸福増大につながらない場合には、功利主義はその契約の不履行を肯定することもある。 また1つ例を挙げてみよう。 あなたと友人が遭難して無人島に辿り着いた。身寄りのない友人はあなたに、「自分は生きて国に帰れないかもしれない。君が生きて帰国できたら、ひとつ叶えてほしい望みがある。私の全財産を使って、立派な私の記念館を建ててほしい」と言い、あなたは必ずそうすると約束した。 友人は自分の口座番号などをあなたにすべて教え、あなたも約束は必ず守ると誓い、その旨の文書をしたためた。その後友人は亡くなり、一方あなたは生き延びて幸運にも救助された。 国に帰り、あなたは友人との約束を果たそうとしたが、たまたま見た報道で、今すぐ手術をしなければ必ず死んでしまう難病の子がいるが、その手術費がきわめて高額なため支払えず、親子共々悲嘆にくれている、ということを知った。 友人の財産を使えばすぐにその子に手術を受けさせることができる。しかも無人島で交わした約束のことは誰も知らない。 そう思い立ったあなたは、亡き友人との約束を果たすべきか、それとも友人の財産で失われつつある生命を救うべきか、考えた。
「亡き友人との固い約束」より大切なこと
考えてみると、亡くなった友人の記念館を建てても、当の友人はこの世にいないし、無名で身寄りのなかった人の記念館を訪れる人も皆無だろう。記念館はいま生きている人々に何の幸福も利益も与えない。 それに対して、瀕死の子に手術を受けさせてその生命を救えば、この世に新たな幸福を生み出すことになる。さあどうすべきか? 「できるだけ幸福な人が増えるように」という功利主義の考え方からすれば、約束を遵守して、誰も喜ばず、人々に何の利益ももたらさない記念館を建てるためよりも、風前の灯火の生命を確実に救うために大金を使う方が正しいだろう。 かくして、亡き友人との固い約束は破られ、大金は難病の子の手術代に充てられるべきだということになる。 切実な願いを託した亡き友人に対しては裏切りだしひどい仕打ちだが、現に生きている人々の幸福や利益を増やすという目的が優先されるのはやむを得ない。 ここで明らかになることは、功利主義は確かに博愛精神に支えられているけれども、それに基づいて限られた財をどう使うか、いかに分配するかを考える場合には、人々を比較して、どのような人々に優先的に利益を与えるべきか(その際どのような人々を後回しする、もしくは切り捨てるか)という厳しい判断を迫られる、ということである。 さらに連載記事<女性の悲鳴が聞こえても全員無視…「事なかれ主義」が招いた「実際に起きた悲劇」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美