どんなに頑張ってもうまくいかないことはある
「笑って生きている」
「仕事に復帰した時点でも夜泣きはありました。でも、ふと気づいたのです。別にひと晩に2回夜泣きがあっても、笑って生きてる(笑)。私の体力も問題なく働けているよなと」 忙しくて食事は育休時代のように手作りにこだわっていられず、簡単なものや、市販品にも頼るようになった。 「味が濃くても、絵本で釣っても、少しでも食べてくれるならそれでいい。歩く、走る、喋(しゃべ)る。成長を目の当たりにしていると、体は小さいかもしれないけれど、元気ならいいとようやく信じられるようになりました」 文字にすると数行だが、長い時間をかけて少しずつ心のこわばりがとれ、吹っ切れていったらしい。 同時に、夫の意識も変わった。お互いに働きながら育児をしている。家事や育児に臨む姿勢が本当の意味でイーブンになったと、彼の関わり方を見て思った。 今年、次男が生まれた。すやすや眠る4カ月の次男を抱きながら、彼女は穏やかに語る。 「私、調子に乗ってたんですよね」 料理にも生真面目に取り組み、そんなふうには見えませんが──。 「いえ。あんなに苦労して生まれてきた子だし、34で生んだので若い母親よりはきっとできる、自分だったらちゃんとできるって、調子に乗って思い込んでいたんです」 頻回授乳や夜泣きの大変さ、職場復帰後の心配にばかり気を取られて、健診で低体重を指摘されるまで気が付かなかったことも悔いている。「自己中心的で母親になれていなかった」 次男も夜泣きをする。だが、今は動じない。 「長男の経験から、泣きやまなくてずっと抱っこでも、私はどうにかやれるから大丈夫と思える。自分にゆとりができました。長男にももっとそうしてあげたかったです」 必死にもがいた日々の学びは大きい。 育児は親の努力や工夫ではなく、時間が解決してくれることがたくさんあるということ。 たくさん食べるのがいい子でも、手がかからずちゃんと育つのがいい子なわけでもないこと。 そして、「頑張ってもできないことっていっぱいあるんだなということを知りました」。 たとえば社会生活でも、うまくいかない人を見ると、努力が足りないと決めつけがちだったが、そうではない。どんなに頑張って努力しても、世の中にはままならないことがたくさんある。だから今は「人に優しくなろう」と思っている。 過ぎてみれば、新米母時代の不安や戸惑いも、些細(ささい)なことだ。 「私など人から見れば恵まれた環境で、なにがそんなに辛かったのと思われるかもしれないけれど、当時は辛かった。記事にしていただけたら、自分も同じだなと安堵(あんど)する人がいるのではと。そうなったら、情けない母でしたけども、だめだったことも無駄じゃないと思える。むくわれます」 長男は相変わらず、食が細い。いつか男の子ふたり、お腹(なか)をすかせてばくばく平らげる日に備えて、おいしいハンバーグや唐揚げなど定番料理を習うオンラインの料理教室に入った。 「これも理想像の押し付けにならないようにしないと。もし大きくなっても小食のままでも、それはそれでしょうがないなと思っています」 再来年4月、職場に復帰する。時短は小1まで取れるが、そこまで延長している先輩は少ない。 仕事も育児も料理も大好きだ。でも、不思議ですねと彼女は率直に問いかける。 「女性の活躍を後押しするための支援って、みんな育児をしなくていいようにできているんですね。延長保育や病児保育など、育児はほかの人がしてくれるという考え方に、私は少々戸惑いを覚えます。両方やりたい人はどうしたらいいんでしょうね。そんなのただのわがままですかね……」 「子持ち様」という耳あたりの悪い言葉を頭の片隅に思い浮かべながら、彼女手製の甘酒と麹(こうじ)のアイスを食べた。やさしい甘みが口中に広がる。長男が登園に気乗りしないときなど、ひと口含ませると笑顔になり、ずいぶん助けられているという。 子どもを育てながらこういうものを作る生活か、仕事かの二択ではなく、せめて小1まで取れる制度を堂々と使える時世であってほしいと願うのは、わがままではあるまい。 ■プロフィール 大平一枝 文筆家 長野県生まれ。市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラム多数。著書に『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『人生フルーツサンド』(大和書房)、『注文に時間がかかるカフェ』(ポプラ社)など。本連載は、書き下ろしを加えた『東京の台所』『男と女の台所』(平凡社)、『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)の3冊が書籍化されている。 本城直季 写真家 現実の都市風景をミニチュアのように撮る独特の撮影手法で知られる。写真集『small planet』(リトルモア)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞。ほかに『Treasure Box』(講談社)など。1978年東京生まれ。