どんなに頑張ってもうまくいかないことはある
【&w連載】東京の台所2
〈住人プロフィール〉 37歳(会社員〈育休中〉・女性) 分譲マンション・2LDK・東急大井町線 尾山台駅・世田谷区 入居4年・築年数9年・夫(34歳・会社員)、長男(3歳)・次男(4カ月)との4人暮らし 【画像】もっと写真を見る(25枚) 不妊治療に通った1年間は、ファミリーの多い街に行くのを避けたくなるほど苦しかった。 「お金も時間もかかるし、私は薬の副作用もあって。子どもができるかどうかもわからないなかで、続けるというのが辛(つら)かったですね。夫は淡々としているというか、どうしても治療の中心は女性側が担うので……」 体外受精で妊娠が叶(かな)うと、一気に夢がふくらんだ。妊娠中、育児本を何冊も読み、早々と離乳食を勉強し、イギリス発の離乳法「BLW」を実践しようとまで決める。 ところがいざ出産してみると、思い描いていた育児との違いに打ちのめされる。 「たとえば夜泣きの大変さもわかっているようで何もわかってなかったんですね。こんなに泣きやまないし寝ないものなのかと。生まれて間もない頃ってそれほど表情もないですし、泣くたびに母乳をあげるだけで、私ってただのドリンクバーみたいだなって。その母乳の出もあまりよくなくて不安でした」 健診に行くと、成長曲線より下で、「体重が増えていませんね」と指摘され、“私のせいだ”とさらに落ち込んだ。同じ月齢の子よりたしかに体も小さい。 「その頃は息子の写真をあまり撮れませんでした。今思うと、育児本をたくさん読みすぎたのも良くなかったし、ピクニックやお菓子作りやおしゃべりなど、育児で夢見ていたことって、だいぶ大きくなってからのことだったんですよね」 ネットを検索すると、“泣きやませる方法”や“夜泣きはこうすれば減らせる”といった記事がたくさん出てくる。次第に、「できるだけ泣かせないように、夜泣きも減らすようにしなきゃと勝手に思い込んでしまった」と振り返る。 母乳で育てたいのにうまくいかず、思ったようにいかない日々に気が滅入(めい)っていく。 コロナ禍で在宅勤務が多かった夫は、彼女の不安を理解できず、「出ないならミルクでいいんじゃない」「そんなにメソメソしていたら子どもに良くないよ」と遠慮がない。夫婦の関係もだんだん険悪になっていった。 「夫は、子どもの誕生を楽しみにしていたのに、いざ生まれたら私がいつもメソメソしていることに苛(いら)立ったのでしょう、常に不機嫌になってしまって。私は私で“こんなにつらいのに不機嫌なんて。もっと優しい言葉をかけてほしい”と。じつはもう夫はいなくてもいいかなというところまで、思いつめました」 ある日、苛立ちが爆発し、思いを吐露。険悪な二日間を経て、彼は真剣なまなざしで言った。「ごめんね。僕も頑張るよ」。 彼の歩み寄りたい気持ちは伝わりつつも、夜泣きや離乳食に対する考え方にはどうしても温度差が生じ、戸惑いや心配が消えることはなかった。 夫との育児分担について、彼女には独自の考えがある。 「育児は尊い大切な時間だと思うので、仕事のように押し付けあいたくはない。職場結婚で、私は育児がしたいから育休をもらってやっているし、不妊治療を経て、育児できることがどれほど幸せか身に染みた。平日は夫の帰宅は寝かしつけ後ですが、それに対する不満はありません」 やがて離乳食を開始。 体重増加を願い、手を替え品を替え離乳食を作るも、ほとんど食べようとせず、ぐずった。あんなに勉強して楽しみにしていた離乳食生活がうまくいかず、また発育が遅れるのではと不安が募る。 しかたがないので、絵本を読みながら、気を取られているすきにスプーンでご飯を口に運ぶ。 それが癖になり、今度は「絵本で釣って食べさせている」という罪悪感にさいなまれる。 「中学生になればドカドカ食べるからと言われても、幼少期ならではの発育があるのだから、今食べなくていいわけではないと思ってしまって」 不安と自責でがんじがらめになりそうだった彼女を変えた契機は、意外にも職場復帰だった。