観光交通のあるべき姿とは? 地域を変える「グリーンスローモビリティ」を考察するために「観光交通」の考え方を整理した【コラム】
派生的需要と本源的需要
次に、2つ目の軸について考察していきます。交通の世界では、移動の需要タイプには「派生的需要」と「本源的需要」の2つがあるといわれています。 派生的需要とは、何か目的が別にあり、その目的を達成するために派生的に生ずる需要のことです。たとえば、通学や通勤は、学校や仕事という別の目的を達成するために生ずる「手段」としての移動と考えられるため、派生的需要にあたります。 一方、本源的需要は、移動そのものが目的となる場合です。観光列車や遊覧船、人力車などが挙げられます。派生的需要は「何かをするために、今いる場所からどこか別の場所へ行く」という出発地と目的地が異なるものですが、本源的需要は出発地と目的地が異なるとは限りません。乗り物に乗って一周して、同じ場所に戻ってきたとしても、その移動の時間や移動体験そのものが楽しく、目的となる移動が本源的需要にあたります。 一般的に「交通」というと、派生的需要を指します。そのため、交通専門家の間では、「本源的交通は交通には当たらない」が通説となっており、一例として地域の交通計画を策定する際には、本源的需要の交通は含まれません。 派生的需要と本源的需要の違いは、効用の多寡によっても説明できます。乗車費用や混雑のような「負の効用」と、楽しい乗車体験のような「正の効用」のどちらが高いか低いか、という視点です。たとえば、満員電車は負の効用の方が高い半面、トロッコ列車は正の効用が高いと指摘できます。部分的に負の効用があったとしても、トータルとして正の効用の方が高ければ、それは高付加価値ともいえ、より高い対価を要求できるとも考えられます。 観光交通は、生活交通とは異なり、派生的需要のみならず本源的需要も取り込み得るという点が特徴です。1回200円の運賃を取りA地点からB地点へ移動する交通ではなく、1回2000円の「高付加価値」な体験を提供し、次の目的地へ移動する交通、あるいはA地点からA地点に回遊して戻ってくるだけ交通は、日常の生活交通としては成立せずとも、年に数度の特別な思い出作りを目的としている旅行者を対象とする交通であればマーケットとして成立するのです。 みなさんのこれまでの旅行経験を思い出してください。ご自分の旅行経験の中で思い出に残っている乗り物は何ですか? 東南アジアのトゥクトゥクのような訪問地域独自の交通が忘れられないという方もいらっしゃると思いますが、2階建てのオープントップバスや馬車、人力車、燃料を使わない自転車によるベロタクシー、ラクダ、ゾウ、トロッコ列車、遊覧船など、観光客向けに特化した世界各地の乗り物を思い出す方も多いのではないでしょうか。なお、私が大好きな海外の観光客向け移動手段はプチトラン(ミニトレイン)です。 これら観光客向けの乗り物はどれもこれも、窓がなくオープンで自然の風を感じられるものの、冷暖房はなく、ガタガタ揺れて乗り心地も悪そうで、とても現代の快適な公共交通としては役に立たなそうな乗り物ばかりです。しかし、公共交通より高い運賃を払って、観光客は利用します。なぜならば、これら乗り物には本源的需要があるからです。効率性を重視する生活交通の中では、本源的需要は「余計な要素」かもしれませんが、少なくとも観光交通の世界では、本源的需要こそが高付加価値を創出し、非日常感を演出し、観光客と地域を良い形で結ぶ「欠かせない要素」だと考えられます。 冒頭でご紹介したグリスロは、派生的需要の役割を果たしつつも本源的需要も満たすことのできる、観光交通にも生活交通にも使える、日本国内では稀有な「二刀流」モビリティです。これまでは、本源的需要のみを満たす観光交通も多かった中で、グリスロは様々な役割を同時に果たすことができ、その役割の程度を地域が自由にチューニングできる点が特徴です。 そして、観光客向けに始めたコトが、住民や地域に様々な気づきのキッカケをもたらし、地域が良い方向へ変わるチカラにつながることがあれば、「住んでよし、訪れてよし」の実現ですが、グリスロの導入地域では、観光交通のグリスロが住民の方の心を動かした事例も報告されています。次回は、地域を変える力をも秘め得るグリスロの観光交通としての活用と可能性について、具体的に紹介していきます。 記事:三重野真代(みえの まよ) 東京大学公共政策大学院交通・観光政策研究ユニット特任准教授。運輸総合研究所客員研究員。2003年国土交通省入省。観光庁、京都市産業観光局観光MICE推進室担当部長、復興庁企画官(東北観光復興担当)等を経て、2021年より現職。編著書に「グリーンスローモビリティ~小さな電動車が地域と公共交通を変える~」(学芸出版社)がある。
トラベルボイス編集部