生後8ヶ月で亡くなった息子 約3年半後、当時の妻の日記に書いてあった本音とは
コロナ禍での入院生活
蒼くんが生まれて入院していたのはコロナ禍でした。秦野さんたちが体調を崩すと蒼くんの病室はもちろん、院内に入ることさえできません。体調管理にはとても気を使ったといいます。 面会時間も1日のうち、12時から20時の間の1時間と制限があり、仕事復帰した秦野さんが会える時間は限られたものでした。特に蒼くんの入浴は午前中のうちに行われるので、なかなか見ることが叶わなかったそうです。 病院の中には子どもはもちろん、祖父母も入ることができず3歳だったお兄ちゃんが蒼くんのすぐそばで会うことができたのは、蒼くんが亡くなる当日だったそう。一緒に過ごせる時間、会える人、コロナ禍でなければ…と思う瞬間が幾度となくあったといいます。
蒼くんが亡くなって3年半後 日記から知った妻の想い
秦野さんの奥さんは蒼くんが生まれる前から日記をつけていました。その日記は蒼くんが生まれたあともつづられており、蒼くんにおきた出来事、日々の変化、そして当時の母親としての想いが書き記されています。 秦野さんが奥さんの日記を見たのは蒼くんが亡くなって3年半後のことでした。 「普通に産んであげたかった」 「仕方ないけど悔しい気持ちでいっぱい」 「早くギュッとしてあげられたらいいのに」 当時も夫婦2人で蒼くんについて話す時間はもっていましたが、奥さんの日記を読んで母親として感じていた蒼くんへの想いや本音を知りました。そして、その後に書かれていたのは蒼くんへの感謝の言葉。 「今日もありがとう」「今日も会えてうれしい」 秦野さんは当時を振り返り「あのときはあのときで、できることを必死にやっていたけど、自分自身がいっぱいいっぱいで妻に寄り添えていなかった」そう改めて感じたといいます。3年半後、奥さんの日記を読んだことで奥さんの当時の本音にふれ、そこからより深く蒼くんについて話すようになりました。
家族の心の中で生きる蒼くん
蒼くんの兄弟は、蒼くんの存在をどのように感じ、理解しているのでしょう。 当時3歳だった蒼くんのお兄ちゃんは、幼いながらも弟が病気で、両親が病院に会いに行っていると理解していたそうです。蒼くんの双子の弟も、自分が双子で生まれたことを知っていて時々お腹の中で一緒にいたことを両親に話してくれるといいます。 秦野さんは蒼くんに起きた出来事を、子どもたちが聞いてきたタイミングで包み隠さず話しています。 「どうしてお空にいるの?」「どうして亡くなったの?」「どうして病気だったの?」 子どもたちが感じた素直な疑問に対して秦野さんが丁寧に説明することで「生きるとは」「命とは」「亡くなるとは」という生きていくうえで大切な部分を蒼くんの人生に教えてもらい、子どもたちは理解を深めています。 一緒に家で暮らすことは叶いませんでしたが、蒼くんの存在は秦野さん一家の中で生き続けています。そしてこれからも、多くの大切なことを兄弟たちに、そして秦野さんの投稿を通じて私たちに教えてくれることでしょう。
ほ・とせなNEWS編集部