生後8ヶ月で亡くなった息子 約3年半後、当時の妻の日記に書いてあった本音とは
前を向こうと決め一緒に歩んだ8ヶ月
蒼くんはいくつもの奇跡が重なり、生まれてくることができました。 「出産したのが耳鼻科のある病院だったこと」 「平日に生まれたからすぐに処置ができたこと」 「双子だったから栄養を摂ることができ胎内で成長できたこと」 「病気の症状により、体内で栄養を循環させることができたこと」 たくさんの偶然と奇跡により、過酷な状況のなかでも心臓が止まることなく生きることができました。この奇跡と偶然に蒼くんの凄さを実感した秦野さんは、蒼くんが生まれた翌朝にはこの状況を受け入れ、蒼くんにたくさんの愛情をそそぎながら一緒に生きていくことを決意します。 蒼くんはNICUに入っていたため、秦野さんたちが会うことができるのは1日1時間の面会時間だけでした。秦野さんは周りの赤ちゃんの泣き声や、抱っこされている姿を見て、親として何もしてあげられない無力感があり、何度も自分を責めたといいます。 蒼くんのために、自分たちができることはないかと奥さんと話し合い、蒼くんの日々の様子を写真に撮りメッセージと一緒にスケッチブックにまとめました。 いつ人生の終わりが来るのかわからない蒼くんの「今」を大切にしようと決め、蒼くんのがんばりを形に残したいという想いから始めたといいます。
不安定な容態
秦野さんたちは蒼くんと一緒に家族5人で暮らすことを目標にしていました。しかし、気管がつまっていることにより自分で痰を出せない蒼くんは、呼吸器をつけているところから感染をおこすことが多く、何度も感染症や肺炎に苦しめられました。 酸素をうまく取り入れることができず無気肺になり、少しずつ容態が悪くなると在宅での生活は遠のいていくばかり。それでも秦野さんたちは、会えることを幸せに感じ、日々感謝をかみしめながら病院に通っていました。 蒼くんが生後3ヶ月になる頃、今後の生活のために秦野さんは仕事に復帰します。仕事復帰後は、今までのように蒼くんに会いにいくことができなくなった秦野さん。蒼くんが淋しくないようにと、家族の写真や家庭の様子の音、映像を準備して看護師さんに頼んで蒼くんのそばで流してもらいました。 生後7ヶ月になる頃、胃ろうでのミルク交換や呼吸器をつけるガーゼの交換を秦野さんたちの手でできるようになりました。それまで見守ることしかできないと感じていた秦野さんにとって、蒼くんの生活に携われていると感じることができ、幸せだったといいます。 容態が日々変化する蒼くんのことを考える毎日は、秦野さんと奥さんにとって不安と苦悩の連続でしたが、蒼くんと過ごせた8ヶ月は1分1秒を大切に思う幸せな時間でした。