「死が目前に迫った人」の話に、どう耳を傾けるか 相手の気持ちを100%理解できなくてもいい
ホスピス医として、これまで4000人を看取ってきた小澤竹俊氏は、死を目前に控え、これまでの人生の意味すら見失ってしまった患者さんたちの苦しみを和らげるには、「丁寧に話を聴く」ことが重要だといいます。 「死を待つだけの自分には何の価値もない」「人に迷惑をかけるだけだから、早く死んでしまいたい」と嘆く患者さんたちが、再び穏やかな気持ちを取り戻すために、小澤氏が実践してきた「話の聴き方」とは。 ※本稿は、小澤氏の著書『新版 今日が人生最後の日だと思って生きなさい』から、一部を抜粋・編集してお届けします。
■大切な人を失った悲しみを「分かち合う」 生きていれば誰でも、理不尽な苦しみ、解決できない苦しみに遭遇します。そのようなとき、同じ境遇の人に自分の苦しみを話すことが支えとなり、気持ちが楽になることもあります。 人はそれぞれ、個性も抱えている事情も異なりますから、お互いの気持ちを100%理解するのは難しいかもしれません。しかし「同じような苦しみを味わった人であれば、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」と思えることが、ときには苦しみを和らげてくれるのです。
たとえば、私の運営するめぐみ在宅クリニックでは月に1回、ご遺族の集まりである「わかち合いの会」を開いています。そこでは、みなさんに、ご自分の気持ちを何度も繰り返しお話しいただくようにしています。 ご家族を亡くしたとき、見守り、見送る側の人々も別れに苦しみます。大切な人を失った悲しみに加え、「どうして、もっと早く病院に連れていかなかったんだろう」「話をちゃんと聞いて、希望を叶えてあげたかった」「病気と全力で闘っている人に『頑張れ』と言ってしまったことを、今でも後悔している」といった具合に、自分自身を責めてしまうことも少なくありません。
しかし、そんなご遺族に対し、「亡くなられた方は、みなさんに支えられて、きっと感謝しているはずです」と慰めの言葉をかけたところで、なかなか相手の心には届きません。 こうした苦しみを抱えている人にとっては、「苦しみをわかってくれる人がいる」「苦しみを共に味わってくれる人がいる」と感じられることこそが、何よりも大事なのではないかと、私は思います。 「わかち合いの会」に集まるみなさんは、同じ境遇の人たちがいる中で気持ちを話すことによって、自分自身を癒やしている。私の目には、そんなふうにも映ります。お話しになる内容は毎回同じでも、心の中では、前に向かって歩んでいくための力が養われているような気がします。