「死が目前に迫った人」の話に、どう耳を傾けるか 相手の気持ちを100%理解できなくてもいい
人生の最終段階の医療に携わる私たちは、日々、苦しみを抱えた患者さんたちと向き合っています。たとえ気持ちを100%理解できなくても、もしかしたら患者さんが、私を「理解者だ」と思い、穏やかな気持ちを取り戻してくれるかもしれない。 私はいつも、そのような希望を抱きながら、患者さんの話を丁寧に聴き、共に苦しみを味わおうとしています。 ■話を「丁寧に聴く」のはとても難しい ただ、「相手の話を丁寧に聴く」というのは、簡単なようで、とても難しいことでもあります。
最初は話を聞いていたのに、気がつくと、自分の体験談やアドバイスを話してしまっている。相手が話していないことまで勝手に自分の頭の中で想像して補い、わかったような気になってしまう。そんな人は、案外多いのではないでしょうか。 特に、相手のことを少しでも理解したと思ったとたん、人は相手の話を聞かなくなりがちです。家族や親友など、気心の知れた人に対して、相手がまだ話している途中なのに「聞かなくてもわかるよ」とさえぎってしまったことはありませんか?
医療の現場でも、紹介状によって病状などを把握した医者が、病気の辛さを訴える患者さんの話をあまり聞かずに診察を進める、ということがしばしばあります。話を聴き、その苦しみを共に味わうことで、患者さんの苦しみが和らぐこともあるのに、残念ながら、そこに気がつかない医療者が多いのが現状です。 話を聴くときには「相手は、自分とは違う人間である」と認識し、先入観や思い込みを捨てる必要があります。 ちなみに私は、患者さんの話を聴く際には、相手の話すテンポを大切にします。適度にあいづちを打ち、ときおり相手の表情をうかがうことも心がけています。いずれも、患者さんに安心して話していただくためです。
さらに、患者さんには忙しそうな様子を見せず、できるだけのんびりゆったりと構えます。苦しんでいる人は、誰にでも苦しみを打ち明けるわけではありません。自分の苦しみをわかってくれそうな人、言葉を変えると「暇そうな人」を選びます。 ですから、苦しみを抱えている人がいたら、できるだけ「この人、暇そうだな。こちらから声をかけてみようかな」と思ってもらえるような雰囲気を作ります。 ■何より大切なのは「苦しみ」を共に味わうこと