「死が目前に迫った人」の話に、どう耳を傾けるか 相手の気持ちを100%理解できなくてもいい
もし、今、みなさんが何かに苦しんでいるなら、似たような思いを抱えている人たちが集うワークショップなどに足を運び、自分の苦しみを話してみると、よいかもしれません。 ■相手の気持ちを「100%理解」することはできない 苦しみを抱えた人を気遣うことは、とても大切です。しかし、どんなに親しい間柄であっても、どんなに心をこめて接しても、人は相手の気持ちを100%理解することはできません。 私自身、他のスタッフと意見が食い違い、悩んだこともあります。同じ職場で、同じように患者さんのことを思って働いていても、互いの考えを完全に理解することはできないのです。
それでは、他人の苦しみに対し、私たちはどうすればいいのでしょうか。私は次のように考えています。 「人と人は完全に理解し合えなくても、相手を『理解者だ』と思ったり、相手に『理解者だ』と思ってもらったりすることはできる」 まるで何かの問答のようですが、私はいつも、「もしかしたら、『理解者だ』と思ってもらえるかもしれない」という希望を抱きつつ、患者さんと接しています。 かつて看取りに関わった患者さんの中に、長年真面目に働き、定年退職後に奥さんと世界旅行をすることを楽しみにしている方がいました。しかしあるとき、体調不良から検査を受けたところ、がんが発見されたのです。がんは肝臓と脳に転移しており、治療は難しく、余命1年と宣告されました。
「一生懸命働いてきて、老後は奥さんを労わってあげたかったのに」 「なんのために、働いてきたのか」 「自分の人生はなんだったのか」 最初のうち、その患者さんは、絶望し、苦しみ、これまでの人生の意味すら見失ってしまいました。こうした患者さんに対し、私たちにできることは何か。丁寧に話を聴くことしかありません。 たとえ苦しみは解決されなくても、辛いときに「辛い」という言葉を、苦しい時には「苦しい」という言葉をちゃんと聴いてくれる相手がいるだけで、つまり「この人は、自分の気持ちをわかってくれている」と思える人がいるだけで、人は少しだけ、楽な気持ちになることができます。