【全日本プロレス 諏訪魔】‘暴走専務’の二つの顔
諏訪魔(すわま)、1976年11月23日生まれ。神奈川県藤沢市出身。中央大学在学時から本格的にレスリングをはじめ、2004年4月プロレスに転向し全日本プロレスに入門。キャリア20年、全日本プロレスの最高峰・三冠ヘビー級王座を8回獲得。プロレスラーとしての実力は誰もが認めるところ。彼は2021年3月には5年ぶりに専務執行役員に就任し、団体の経営にも携わっている。‘暴走専務’としてリング上とオフィスで2つの顔も持つ。そんな彼の信念とは?
目指していた五輪の出場枠がなくなり全日本プロレス入りを決意
父親がプロレスファンであった影響で幼少期からプロレス中継を観て育った諏訪魔。高校在学中は柔道部に所属し、中央大学進学後にレスリング部に入部、主将を務めた。 大学卒業後、諏訪魔はクリナップに就職しレスリングを継続。2001年の天皇杯全日本レスリング選手権大会・フリースタイル130kg級に出場し4位。2002年7月、全日本社会人選手権でグレコローマンスタイルとフリースタイルの両種目でダブル優勝。同年10月の国体でも初優勝。さらに2003年の全日本選抜選手権でも優勝して世界選手権に出場と輝かしい実績を残す。 アテネ五輪に向けて順調に実績を重ねた諏訪魔だが、出場を目指していた120kg級の五輪出場枠がなくなったことで断念。全日本プロレス入りを決意した。 「現在石川県知事の馳浩さんがナショナルチームのアジア合宿に来てくれた。そこでスパーリングをしたら、俺の頭に血がのぼってケンカ腰になったんですよ。そしたら馳さんに『君はアマレスよりプロレスの方が向いている』と言われましたね(笑)」 2004年3月19日、諏訪魔は当時全日本プロレスの社長だった武藤敬司と馳浩とともに記者会見を開き「プロレスは小さい頃から好きだった。大学の先輩のジャンボ鶴田さんのようになりたい」と抱負を語り、諏訪魔27歳の時にプロレスに転向した。
デビューから3年5か月で三冠王座戴冠とCC制覇!ジャンボ鶴田の記録を更新
2004年10月11日、プロレスの聖地‘後楽園ホール’で馳浩を相手にデビュー戦を行った諏訪魔。身長188㎝・体重120kgと恵まれた体格で、デビューから3年5か月で三冠ヘビー級王座獲得と「チャンピオン・カーニバル」を制覇。中央大学の先輩・ジャンボ鶴田の持つ7年1か月を上回る史上最速での記録だった。 これまで三冠王者は第37代、第43代、第46代、第49代、第54代、第58代、第63代、第67代と8度輝いた。約20年、レスラーとして活躍している諏訪魔に一番幸せだった瞬間を聞いてみた。 「20年近く活動しているから沢山ありすぎて…第43代三冠王者になった時かな」 諏訪魔にとって2度目の王座戴冠となった2010年8月の両国大会。意外にも初戴冠の時ではなかった。 「2008年4月の初戴冠の時は大変でしたよ。プレッシャーに押しつぶされそうになって、良い試合ができなくてね。チャンピオンとしての務めが難しいなと思って挫折もしたし。2回目、3回目の戴冠したあたりで、三冠チャンピオンとしての務めができるようになってきたかな」