京アニ放火殺人、青葉被告の再犯防止支援は「やれることはやっていた」のに、なぜ防げなかった? 犯罪学の研究者が語る「刑務所の実情」
何かしら同じような悩みや困難を抱えた人同士で、自分のことを話せる場が青葉被告にも必要だったのかもしれません。 犯罪学においても近年、アルコールや薬物依存症者のグループワークでなされてきたような、当事者同士のコミュニケーションが改めて重要視されています。支援者では分からない部分が当事者にはあるからです。 2000年代からは自分の物語を自分で語る「ナラティブ」アプローチが注目され始めました。自身のことを客観視して、自分のストーリーがどうやってできあがってきたのかを、他人との語りの中で確認していくことには大きな意味があると考えられています。それが、犯罪の領域でも機能するのでは、と注目されたんです。 青葉被告の場合も、前科がある人たちや、虐待の被害経験がある当事者らと話す場が持てていたら、よかったのかもしれません。 ▽コミュニケーションを取ろうとするそぶり ―そもそも、コミュニケーションとは何でしょうか?
コミュニケーションは「対等」であることが大事じゃないですか。LINEを送るのもコミュニケーションの一つだけど、一方的に大量に送りつけられるのは、スパムですよね。 会話のキャッチボールですね。つまり、相手の話を聞いてかみ砕いて、自分の中で生まれる内的会話を、相手にどう伝わるか考えつつ返して…。簡単に言えば、相手の言っていることを丁寧に聞き取って、自分の言いたいこともきっちり相手に伝える。 ―被告は事件前、小説をネットに投稿したりしていたけれども、周辺の人たちとコミュニケーションを取ろうというそぶりはあまり見受けられず、すぐにあきらめてしまった感じがあります。 そうですね。表現活動をしている人の中にはコミュニケーションが苦手な方は結構いますよね。でも(もっと読まれるためにコミケ等で新たなコミュニティーに参加するとか)別のツールを使うなどして、もっとうまく自己表現できる方法はあったと思いますが、それも、育った環境とか周囲の関係性との中で学習していく部分があるので、彼の場合、そういう可能性も限られていたんだと思いますね。