「女タイガーマスク」コマンド・ボリショイ ── 施設は自分の原点
心優しき"女タイガーマスク"、小さな巨人とも呼ばれている。女子プロレスラーのコマンド・ボリショイ選手だ。キャリア25年、老舗団体JWPの代表選手でもあるが、第一線で活躍する傍ら、福祉施設などの慰問を積極的に行っている。というのも、彼女は3年前に児童養護施設出身であることを公表。15歳で中学校を卒業するまで育ったのは、大阪市淀川区十三にある社会福祉法人「博愛社」だったことを明かした。
幼少期にすごした施設近くで大会
そんなボリショイ選手は1991年11月、ジャパン女子プロレスでボリショイ・キッドとしてデビュー。ジャパン女子解散を受けて、JWP女子プロレス旗揚げに参加。92年、コマンド・ボリショイとしてデビュー。この時のパートナーはキューティー鈴木。98年には覆面レスラーの宿命なのか、試合途中でマスクをはぎ取られたことも。 これまでのタイトル歴はJWP認定無差別級王座、JWP認定タッグ王座、第19代JWP認定タッグ王座(パートナーはGAMI)、第10代ICE×60王座、第4代CMLL-REINAインターナショナル王座。身長148センチと小柄ながら、まさに八面六臂の大活躍だ。 折しも、JWPは24日に大阪大会(会場は淀川区民センター)を開催する。大阪は彼女の出身地であり、その会場は幼少期を過ごした施設のすぐ近くだ。大会に子どもたちを招待するため、同時に募金活動で得た寄付金を手渡すために先日、ボリショイ選手は博愛社を訪れた。そんな彼女に今の心境など話を伺った。
小6からプロレスラー目指す、デビュー当時秘話
──いつぐらいからプロレスラーを目指したんですか。 ボリショイ 小学校6年の時です。養護施設の中にいて、早く自立しないといけないと思って、自分の身体ひとつでできる仕事があるというのを認識したのがその時期です。テレビのプロレス番組で知りました。 ──デビュー当時のことを教えてください。 ボリショイ ピエロをモチーフにしたリングネームで、ボリショイ・キッドとしてデビューしました。コミカルプロレスでしたが、団体の提案で、もう1つの顔を持つことになって、それがストロングスタイルのコマンド・ボリショイです。あと2つ、リングネームがあって、戦う多重人格って言われてます。どのマスクにもピエロの鼻がついていて、それが特徴です。 ──児童養護施設に入られたのは何歳から? ボリショイ 私が3歳くらいの頃らしいですけど、乳児院から送られてきたみたい。プロレスに入るまでずっと養護施設にいました。 ──ご両親は? ボリショイ お父さんは早くに亡くなられて、でも、兄弟は7人いて、全員が順番に預けられています。きっと生活が大変だったんでしょう。母親はいるんですけど、会ってないですね。顔はわかります。子どもの時に面会で一年に一回は来てましたので。社会に出てからは、会わなくなってしまったんです。 ──施設での生活はどうでしたか。 ボリショイ 子どもたちが160人くらいいて、幼児ホームから学童ホームまでわかれていて、最初は幼児ホームで。それも5つぐらいのグループにわかれていました。それくらい大きいところでした。小学校から中学校までいたわけですが、先生がいて、保母さんがいて、それぞれ10人くらいのホームになってました。 ──施設を出られたのは? ボリショイ 15歳。中学を卒業してから。施設在籍時にプロレスのオーディションを受けてそのまま業界入りしました。プロレスでは、年齢不詳ですけど。