「スパイダーマンに主役は無理なので女の子と…」約40年前のテレビ放映時につけられた「驚きのタイトル」
マーベルが破産を申請した頃、スタン・リーはすでに日常的な編集業務からは離れていたが、それでもマーベルから発行されるすべてのコミックスの表紙にはリーの名前があった。 長年カリフォルニア暮らしを夢見てきたリーは、テレビ・ドラマ『超人ハルク』が人気を博すにいたってついにロサンゼルスに居を構えた(テレビの実写版ハルクではビル・ビクスビーが主人公デヴィッド・バナーを演じているが、テレビ局の重役たちが「ブルースという名前だと同性愛者みたいだから」というありえない理由で、デヴィッドに変えられた。バナーの筋肉質の分身はルー・フェリグノが演じ、番組は1977年から1982年までCBS局で放映された)。 「1960年代後半にマーベルがメディアの関心を集めて、勢いがつき始めた頃のことだ」と『Marvel Comics: The Untold Story(マーベル・コミックス:語られなかった物語)』(2012)の著者ショーン・ハウがインタビューに応えて語っている。 「ジャック・カービーと(リーが)一緒にカリフォルニアに拠点を移して映画業界に足を踏み入れようという話が、少なくとも本人同士の間であったらしい。コミックスにしがみついていても稼ぎにならないし、誰も理解してくれず、やりがいもないから」
スタン・リーは新しく創設された小さなスタジオの責任者としてロサンゼルスに移ったのだ。そのスタジオをマーベル・プロダクションズといった。1980年にバラエティ誌に載った「所有する知的財産権を使った企画の開発を自ら行い、専門的な知識や技術を他社と共有できるのを、楽しみにしています」という広告とともに、新スタジオは業務を開始した。 ● ハリウッドへの挑戦と失敗 報われなかったリーの奮闘 マーベルが生まれて間もない頃は、リーが即興的な思いつきでキャラクターや物語を作り、それをカービーやディッコ、その他のアーティストたちが素早く絵に仕上げた。 リーは常に尽きせぬアイデアとストーリーテリングの泉であり続けたが、口八丁というだけで何かが起こせるほどロサンゼルスは甘くなかった。ハリウッドでスタン・リーの話を聞く者はいなかったのである。 1981年。CBS局の重役たちは、スパイダーマン単体では土曜午前のアニメ番組として主役を張る力がないと言い張っていた。そこで、新番組『スパイダーマン&アメイジング・フレンズ』では、アイスマンというミュータントと、ファイアスターという女性のヒーローを交えてチームを組むことになった。