明治の西洋人へのもてなしが近代観光の礎を築いた(軽井沢・草津)【外国人が愛したニッポン】
明治の世になり、日本を訪れるようになった西洋人たちは夏に暑い東京を離れ、冷涼な地へ避暑を求めた。旅籠は近代的なホテルへ大きく変化し、現在へと繋がる観光の在り方となった。 写真はこちらから→明治の西洋人へのもてなしが近代観光の礎を築いた(軽井沢・草津)【外国人が愛したニッポン】
【軽井沢】“夏でも屋根が要らぬ冷涼な気候”と形容
◆アレクサンダー・クロフト・ショー(1846-1902) 軽井沢で夏を過ごす西洋人たち(1897年頃、二手橋付近)。当時は珍しかった自転車の脇に婦人が立ち、荷車との対比が印象的だ。
軽井沢ショー記念礼拝堂
長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢57-1 電話:0267・42・4740 開館時間:9時~17時(冬期は~16時) 休館日:不定 入館料:無料 交通:北陸新幹線・しなの鉄道軽井沢駅よりバス(浅間白根線、草津線)で旧軽井沢バス停下車、 徒歩約15分 1886年(明治19)春、ふたりの西洋人が軽井沢を訪れた。ひとりはカナダ人の宣教師、アレクサンダー・クロフト・ショー。もうひとりはショーの友人で、東京帝国大学の英語教師であるジェームズ・メイン・ディクソンだ。 ふたりは、アーネスト・サトウによる『明治日本旅行案内』を読んで軽井沢に向かい、この清涼な高原気候に魅了された。このとき、避暑地としての軽井沢の歴史が始まった。 当地でふたりが逗留した宿が「亀屋」である。宿の主人は佐藤万平。のちに外国人専用の亀屋ホテルを創業し、万平ホテル(1894年~)を興す人物だ。以降もふたりは軽井沢をたびたび訪れ、ショーは別荘を構えるに至る。これが軽井沢における別荘の第1号といわれる。
万平ホテル(改装休館中、営業再開は本年夏を予定)
長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢925 電話:0267・42・1234 交通:北陸新幹線・しなの鉄道軽井沢駅よりタクシーで約5分 ショーの別荘には、友人の家族が多数訪れ、避暑地・軽井沢の評判は次第に西洋人のあいだに浸透していく。1893年頃には300人の西洋人が避暑に訪れたという。そうした状況のなか、佐藤万平は別荘の販売を始め、旧来の旅籠宿は外国人向けのホテルに商売替えをしていった。 ショーは、避暑を過ごす客のために礼拝堂を建て、今も「軽井沢ショー記念礼拝堂」として維持され、ショーの別荘は当時の姿に復元され「ショーハウス記念館」として、礼拝堂と同じ敷地に立っている。 ショーたちが訪れ、過ごしたことで、その後の軽井沢が、日本有数の別荘地として発展していく礎を作り上げたのである。