組織のミドルエイジが身に付けるべきは「若手を生かすファシリテーション術」 チームプレーを成功させる「間のつかみ方」とは
前座は商品ではなく、自ら世間に対して発信をしていい立場ではない。さらに「昇太の弟子」という肩書もあるわけですから、僕がチャラチャラしたブログを書くことによって、「師匠が弟子を監督していない」と見られてしまう。 そういうことが、あの頃の僕は全然わかっていなかった。結局、そのまま半年間謹慎しました。もう、絶望的でしたよ。1回死んだようなものですね。 あとから聞いたら、「来なくていい」と言われた翌日に謝りに行かなくちゃいけなかったらしいんだけど、誰もそれを教えてくれなかったし、師匠も謝りに来ないから辞めたと思っていたらしくて。 最終的には「年をまたいではいけない気がする」と思い、年末に師匠の家へ行ったことをきっかけに弟子として復帰しました。
「お茶を出す」で何が培われるのか
もしも「怒られたくない」という若い人が一門に弟子入りしてきたら、ですか? まぁ、怒るでしょうね。「お前の意見なんか聞いてねぇよ」ってね。 落語界は序列社会です。昨日今日来たやつが何言ったって、「知らねぇよ」でおしまい。この世界に合わせるか、合わせられずに辞めるか。それだけの話です。
落語界は職人の世界でもありますから、学校みたいに教えてもらえると思っちゃいけない。先輩の動き、師匠の背中を見てひたすら学ぶ。うちの師匠も、ああしろこうしろは言わないですよ。 「いい大人なんだから、自分で状況を判断しろ。俺がどうしてもらいたいか、俺の様子を見て考えて、そのために自分が何をすべきか、頭を働かせながら動きなさい」 僕らはそうやって育てられてきました。指示をもらえれば楽だけど、そうすると先回りができず、気の利かない指示待ち人間になってしまう。 そもそも、なぜ修業をやるのか。それは「間をつかむため」です。 楽屋で師匠方にお茶を出すにしたって、その師匠が一番喜ぶタイミングがあるわけです。それを理解するには、ちょっとした表情を見ながら間をはかる必要があります。 要は毎日の修業の中で、「相手が何を欲しているか」を読み取る力を培っているんです。