「不採用を一転、年金局に配属」あきらめの悪い男 政治、メディア、積立金に翻弄されたエリートたちの全記録『ルポ年金官僚』より#1
■あきらめの悪い男 古川は25歳。新人にしては、回り道をしている。 佐賀県佐賀郡春日村の農家の長男として生まれた古川は、九州大学を志望。不合格となり佐賀大学文理学部に入学を果たすが、あきらめきれず、籍を置いたまま九州大学法学部を受験し、合格する。 就職は「両親のように一生懸命働いた人たちの老後は幸せであるべきだ」と厚生省を志望した。国家公務員上級職を受験するも失敗。まずは長崎県庁に入庁した。同時期、自治省採用で赴任してきたのが片山虎之助(後に総務大臣、日本維新の会共同代表)である。
古川はあきらめが悪かった。県庁から帰宅後に試験勉強を続け、翌年も国家公務員試験を受けるのだ。 今度は行政職10位の成績でパスした。だが面接試験のため佐賀から東京へ向かう時、不運に見舞われる。1959年9月26日、死者・行方不明者5000人を超えた伊勢湾台風が東海地方を直撃したのだ。 交通網は壊滅的となり、東京に辿り着くのに36時間かかった。食事も睡眠もろくにとっていない状態で、身体検査では身長172.5センチで体重はわずか49.5キロ。検査を担当した係官に驚かれたほどだ。
それも原因だったのだろう、面接が行われた日の夕方、厚生省内で不合格を告げられる。 だが、やはりあきらめが悪い。宿にしていた品川の長崎県寮に戻ったが、どうにも納得がいかない。そこで翌朝一番、古川は厚生省人事課長・尾崎重毅のもとを訪ねるのである。 古川は厚生行政に対する熱い想いをぶつけた。尾崎は心を動かされたのか、「君のような熱意のある人材がわが省に必要だ。上と相談するから、いったん長崎に帰っといてくれ」と答えた。だが、古川はテコでも動かない。長崎に帰れば、「精一杯やったがダメだった。来年がんばってくれ」と言ってくるのがオチと思ったのだ。
人事課長と言えども、独断で決められる話ではない。 「君の期待に必ずしも沿えないかもしれない。その時は変な事になるまいな」 尾崎は、古川が自殺でもするのではと案じたのだ。 「その心配は全くいりません。私は来年、また厚生省を受けに来ますが、国家試験に受かるかどうかわかりませんので、今年ぜひ採用してください」 古川はそう言い残し、厚生省を後にした。 やれるだけのことをやった、と古川は夕方、東京観光でもしようと考えた。東京駅から「はとバス」に乗ろうとする時、友人が走り寄ってきた。携帯電話のない時代、東京在住のその友人宅を古川は連絡先にしていた。