日本の紙の歴史(1) 中国大陸から福井、滋賀、京都、そして奈良へ。 独自の進化を遂げた日本の紙~「Paper Knowledge -デジタル時代の“紙のみかた”-」 “令和の紙の申し子”吉川聡一と紙について考える。
仏教の普及や政治において、“紙”が果たしてきた重要な役割
そして、もう1つ。この時代に紙が必要となる出来事が発生します。仏教の広まりです。当時、仏教は国の安全と繁栄を守るものとして信仰されており、多くの自然災害や疫病が流行ったこの時代において、仏教は政治と深く結びついていました。皆さんの知るところでは、当時の疫病を鎮める為に、東大寺に大仏が建立されたのは有名な話です。なんだか、この数年間、パンデミックや大地震に見舞われている我々の身にも当てはまりそうな時代背景に感じるのは、私だけではないと思いますが…。 仏教を広めるにあたり、伝達方法として取られていたのが「写経」でした。実際、この時代、多くのお寺が建てられ、多くの僧がお寺にて修行をされたそうですが、彼らが修行するために必要だったもの、それが書き写されたお経でした。そして、まさにこの書き写すための道具こそ、紙だったのです。 また、この時代のお寺は国を統治するための役所の役割も兼ねていたようです。実際にこの時代に、奈良の東大寺には「図書寮」という、宮中の仏事を行う所が設けられ、その中に「紙屋院」という製紙工場が作られています。この工場で作っていたのは、「公文用紙」と「写経用紙」でした。いかに政府が力を入れて、お寺で使うための紙を作っていたのか、分かる気がします。 随分と長い説明にはなってしまいましたが、こうして奈良の都にて、「通信手段のための媒体」や「政府による複製」としての使用目的が増えていった日本の紙は、この後の時代においてさらなる独自の進化を遂げていくこととなります。それを可能にしたのは、進化の理由2に挙げた「世界有数の自然資源を持っている国であった」ことなのですが…。 それについては、また次のコラムで記載させて頂ければ幸いです。
吉川 聡一 (よしかわ そういち) 吉川紙商事株式会社 常務取締役執行役員
1987年東京生まれ。学習院大学卒業後、飛び込み営業を含む営業職の期間を2年半経て、現在の吉川紙商事に入社。現社長・吉川正悟が掲げる「人と紙が出合い、人と人が出会う」を実現するため、同社にて平成25年より取締役を務める。2017年にはオリジナルブランドの「NEUE GRAY」を、2020年には和紙のオリジナルブランド「#wakami」をプロデュースし、紙、ステーショナリーの双方を発売。現在はそれらを国内外にて販売するという形で活躍を続ける。 吉川紙商事株式会社 https://www.yoshikawa.co.jp/
吉川 聡一 吉川紙商事株式会社 常務取締役執行役員