日本の紙の歴史(1) 中国大陸から福井、滋賀、京都、そして奈良へ。 独自の進化を遂げた日本の紙~「Paper Knowledge -デジタル時代の“紙のみかた”-」 “令和の紙の申し子”吉川聡一と紙について考える。
「人に情報を伝える媒体」として日本独自の進化を遂げる
少し脱線してしまった話を、歴史の方に戻します。 福井県越前市で始まった製紙産業はその後、滋賀県に下り、琵琶湖を船で横断した後に京都、そして日本で最初の都が存在することになる奈良へと伝わっていきます。 奈良に到着した紙は、ここから日本独自の進化を遂げることになります。その理由は主に2つです。1つ目は環境の変化に伴い、紙の使用目的が増加していったこと。2つ目は日本という国が軟水や多種に渡る木々、そしてそれらを育む四季…といった「世界有数の自然資源」を持っている国であったことです。時代背景に沿って、1つずつお話させて頂きます。 1つ目の紙の使用目的の変化。これには、「飛鳥時代から政治が行われるようになったこと」と「写経が普及したこと」が大きく関係してきます。第1回目のコラムにも記載させて頂きましたように、紙というのはこの世に誕生してから現在までの約1,500年以上の間、「人に情報を伝える媒体」として存在してきました。日本に最初に伝わってきた紙が「論語」を記したものであったことからもわかるように、この「人に情報を伝える媒体」はいわば「経典」としての役割がメイン、つまりその時代や先人たちの考えを後世に伝えるための「記録媒体」としての役割を紙は担っていました。そのため、最も大きな機能としては「保存性」。当然ながら、紙自体の数量もさほど多く必要ではありませんでした。 しかし、奈良に都ができ、国を統治するために政治が行われるようになると、大宝律令をはじめとした「法律」が作られるようになります。この法律は主に税の徴収を目的としたものだったため、多くの国民に「即時に」「より広い範囲で」法律を伝えなくてはなりませんでした。そこで使われたのが「軽く」て「持ち運びが可能」という機能を持った紙でした。今で言えば、スマートフォンと同じような媒体が、TVや新聞などのメディアの役割を担ったわけです。 このような役割を担っている紙はこの時代から明治時代に至るまで、ずっと「御奉納品」として扱われてきました。そのため、政府にとっては「複製し易い」存在でしたが、一般庶民には「複製しにくい」商品であった…というのも、紙が使われた理由として付け加えられるのかもしれません。当然ながら、「先人たちの教え」がなくなったわけではありませんが、それらをはるかに凌ぐ量の紙がこの時代に必要となりました。それが結果的に日本全国に「紙漉き」と呼ばれる製紙技術が広がっていくことになるとは、まだこの時には誰も考えてはいなかったと思いますが…。