日本の紙の歴史(1) 中国大陸から福井、滋賀、京都、そして奈良へ。 独自の進化を遂げた日本の紙~「Paper Knowledge -デジタル時代の“紙のみかた”-」 “令和の紙の申し子”吉川聡一と紙について考える。
古来中国文明からさまざまな技術が伝承されてきた福井県
先日、YouTubeの撮影のため、海外からのお客様を和紙の発祥地と言われている福井県の越前市にご案内させて頂きました。私がプロデュースをしている「#wakami」という和紙をベースにして作ったステーショナリーを、海外で販売するための動画の撮影だったので、当然ながら私が撮影工程を決めてご案内したのですが、なぜか、案内した私の方が彼女たちから多くのことを教えてもらう時間になりました。 そもそも、この「#wakami」というステーショナリーは「触れる。学ぶ。楽しむ。」のコンセプトのもと、現代では触れる事は少なくなってしまった「和紙」の世界にもう一度、多くの人に触れてほしいと言う思いでプロデュースしたステーショナリーです。商品コンセプトの中に日本の紙の成り立ちや、それにまつわるストーリーがたくさん盛り込まれていますので、撮影の内容も、撮影地も、そしてその場で行われる会話も、極めて多くが「日本の紙の歴史」にまつわるものとなりました。 今回は、この「日本の紙の歴史」について書こうと思いますが、非常に長く情報量の多い内容になりますので、ここから4回に渡って紹介させて頂ければと思います。
古来中国文明からさまざまな技術が伝承されてきた福井県
紙は紀元前頃の中国にて、発明されたと言われております。基となったのは、麻布の衣服。その衣服の繊維が解け、固まったものが「最初の紙」となったそうです。日本に最初に紙が渡って来たのは1世紀中頃。「論語」を記した書物が日本に送られたのが始まりだったそうです。その後、2世紀頃に弓月君をはじめとした秦族によって、今度は製紙技術が日本に上陸します。 実はこの秦族は、当時の世界最高の技術者集団。製紙技術もその中の1つであったのですが、他にも鍍金加工や織物などの技術も彼らが製紙技術と共に日本に運んできました。そして、この中国大陸より渡来した秦族が最初に辿り着いた場所が、福井県だったと言われています。これは竹村公太郎先生の『日本史の謎は「地形」で解ける』という本の中にも記載されていますが、中国大陸から日本列島へ向けて出発した船は、海流の関係により自然と福井県に流れ着くようになっているそうです。 到着後、秦族は早速現在の福井県にて自分たちの持ってきた技術を生かせるかどうかの調査を開始。幸いにも福井県には、お米やお酒や海産物に加え、和紙を作るために必要な軟水、刀を作る上で必要な砂鉄、刀の鞘に必要な漆や和紙の原料となる木々…などの自然の資源が多く存在したため、彼らはこの地に持って来た技術をすぐに伝承すること出来たとのこと。 古来中国文明にて発明され、その後日本に伝わることとなった、紙や漆器、打刃物、織物、箪笥などの産業が福井県に定着しているのは、ここから来ていると言えるでしょう。余談にはなりますが、2024年3月に東京から福井までの新幹線も開通しましたので、もしご興味のある方は、是非、これらの産業に触れる為に福井に行ってみるのも面白いと思います。実際、私自身も10年ほど前から仕事の関係で福井県に行くことが多くなり、これらの歴史を現地で教えてもらう度に、学校では習わなかった歴史を学ぶことができ、楽しみが増えています。 例えば、私たちが普段何気なく飲んでいる水が、世界でも有数な貴重な資源である…と知った時は、いかに「当たり前」と思っているものが「驚くほど高いレベル」であったのか気付かされ、これまでの物の見方を考えさせられる場面に遭遇します。