『光る君へ』藤原隆家が指揮を執った「刀伊の入寇」。なぜ<世に知られたツッパリ野郎>隆家が的確にエマージェンシー対応を果たせたのかというと…
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回は〈刀伊入寇〉と「暴れん坊」藤原隆家について、新刊『女たちの平安後期』をもとに、日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。 <私が気づいていないとでも思っていた?>『光る君へ』次回予告。刀伊撃退の褒賞を巡って実資が怒りを爆発。道長とまひろは再会を果たすも微笑みを湛えた正妻・倫子が… * * * * * * * ◆〈刀伊入寇〉と「暴れん坊」藤原隆家 この事件は割合に詳しい記録が残されている。 大宰府からの正式報告が『朝野群載』(主に平安後期の詩文・宣旨・官符・書札等の各種文書を分類し、編纂した書。算博士三善為康が1116年に完成させ、のちに増補している)に載せられ、さらに『小右記』にもつづけざまに情報が載せられているからで、戦いの状況を、その緊迫した雰囲気とともに知ることができる。 『小右記』は藤原実資の日記で、彼は当時大納言であり、政府実務を担っている人物だった。 ここで大納言という役職を簡単に説明しておくと、左右大臣以下の上級貴族が参加する太政官会議(政策を決定する会議)に参加し、天皇にその結果を報告(上奏)したり、天皇の名でおこなわれる命令(太政官符や官宣旨など)を下したりする権限を持っている、いわば准大臣である。 この当時は大納言2人と定数外の権大納言が4人いて、大納言は実資と藤原道綱、権大納言は藤原斉信、公任、源俊賢、そして藤原教通である。 斉信、公任、俊賢は、藤原行成とともに「一条朝の四納言」と讃えられた英才で、道綱は摂政を降りたばかりの藤原道長の異母兄(母は『蜻蛉日記』の著者、右大将道綱母)、教通は道長と正妻の源倫子の間の次男で、新摂政となった頼通の弟、のちの関白である。
◆太宰権帥を兼官する中納言 さて、実資の手元にかなり正確なデータが送られて来ていたのは、当時の大宰府の体制にもよるだろう。 本来大宰府のトップは大宰帥といい、皇族(帥宮と呼ばれる)の名誉職であり、その補佐官の大宰権帥は、中納言クラスの貴族の兼官で、現地の統治は大弐、少弐など次官級の官人におこなわせ、本人が下向することは珍しかった。 ところがこのときには、大宰権帥を兼官する中納言が大宰府にいたのである。 その名を藤原隆家という。
【関連記事】
- <私が気づいていないとでも思っていた?>『光る君へ』次回予告。刀伊撃退の褒賞を巡って実資が怒りを爆発。道長とまひろは再会を果たすも微笑みを湛えた正妻・倫子が…
- 『光る君へ』矢を胸にうけて絶体絶命の周明。しかしネットでは「#周明の生存ルートを考える会」がにわかに盛り上がりを…視聴者「宣孝の薬がここで!」「血ではなく紅です」「諦めたら試合終了」
- 『光る君へ』「もう…衛門の好きにしてよいわ」タジタジの倫子。その勢いに秘められた<赤染衛門の真意>とは…視聴者「だから猫!」「地雷踏んだ」「倫子さまの顔(笑)」
- 平安時代最大の対外危機「刀伊の入寇」。400人以上が拉致、対馬・壱岐は壊滅状態に…『光る君へ』で竜星涼さん演じる藤原隆家は来襲した<賊徒>をどう迎撃したのか
- 『光る君へ』物語がいよいよ大宰府「刀伊の入寇」へ!ゆかりの地、福岡県太宰府市に紫式部役の吉高由里子さん、藤原隆家役の竜星涼さんが登場