『光る君へ』ゆかりの地へ!道長が復活を遂げた宇治、まひろと道長が肌を重ねた石山寺…東大・本郷先生と実際に歩いて分かった<事実>とは
◆バスは石山寺へ 平等院を出たバスは、続いて石山寺へ。 石山寺は滋賀県大津市石山寺にある東寺真言宗大本山の寺院。天平宝字5年(761年)から造石山寺所が置かれ、その造営は国家的事業として進められた…という、大変歴史の長いお寺であります。 こちらも移動のバスの中で、先生から解説が。 『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場する石山寺は、平安期の官女の間で人気に。特に恋などに悩む女子が恋愛成就のために訪れるような”レジャー”的に愛されたお寺だったとのこと。『光る君へ』でもまひろとさわが「石山詣」に出かけましたよね。 なお紫式部は、石山寺参籠の折に『源氏物語』の着想を得たとする伝承もあるそう。伝承では、寛弘元年(1004年)に紫式部が訪れた際、ここで「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされています。 彼女が石山寺に参籠したという記述は『紫式部日記』にも『紫式部集』にもないそうですが、それでも『光る君へ』の聖地に足を踏み入れるだけで、ガチ視聴者としてはワクワクが止まりません。なんといっても石山寺は、賢子誕生のキッカケとなった<あの一夜>の地なのですから…。
◆実際に訪れてわかったこと 訪れるとよくわかりますが、石山寺はかなりの傾斜地に位置しています。そのため散策にはそれなりの足腰が要求されますが、その分、各所の景観が見事! たとえば、雷によって半焼するも、平安時代に再建されたという立派な本堂には、長い柱や貫で床下を固定し、その上に建物を建てる建築様式「懸造」が使われています。この様式は清水寺などでも見られますよね。 また、斜面に”どん”と現れる天然記念物・硅灰石は圧巻。ちなみにこの硅灰石が「石山寺」の名前の由来になったようです。 さらに進んだ先には、源頼朝の寄進により建立された多宝塔(国宝)、歴代天皇の玉座とされた月見亭が控えるなど、見どころがたくさん。 実際に歩いてみて、平安貴族がレジャーとしてこの地を楽しんだというのもごもっとも、と強く感じました。散り際ではありましたが紅葉もまだ残っており、紫式部像も含めた美しい景観をじっくりと楽しむことが出来ました。 以上でツアー初日は終了。明日は平安貴族にゆかりの深い平安神宮や京都御所、そして北野天満宮、清凉寺、大原野神社をまわります。
「婦人公論.jp」編集部
【関連記事】
- 『光る君へ』ゆかりの地へ!一条天皇や定子・彰子が過ごした京都御所、まひろの氏神・大原野神社…東大・本郷先生と実際に歩いて分かった<事実>とは?
- 『光る君へ』<最後の5分間>の考察止まらず。なぜ鳥籠が崩れた?なぜ乙丸・いとの呼び方が「お方様」から「姫様」に?視聴者「2回目の視聴で気づいたが…」「実はまひろも…」
- 『光る君へ』乙丸役・矢部太郎さんも指摘。一話と最終話、実はある部分でしっかりリンクを…気づいた視聴者「構造として美しい」「望月の夜はつかの間」
- 本郷和人 道長が最後に視力を失っていたワケ。原因は『光る君へ』で毎回描かれる<あのシーン>に…平安時代ならではの病について
- 本郷和人『光る君へ』道長ついに死す。その墓がどこにあるのかというと実は…。<ある病>による視力低下と胸病に悩まされた道長の晩年