『光る君へ』ゆかりの地へ!道長が復活を遂げた宇治、まひろと道長が肌を重ねた石山寺…東大・本郷先生と実際に歩いて分かった<事実>とは
『婦人公論.jp』では連載陣の一人、東京大学・本郷和人先生に同行・解説を頂く「日本史ツアー」を読売旅行と共催しています。「徳川」「武田」に続く第3弾のテーマは「平安貴族」。大河ドラマ『光る君へ』が盛り上がる中、菅原道真と在原業平が活躍する『応天の門』を監修された先生とともに、一泊二日で京都周辺を巡りました。そこで本記事を通じて、参加者が味わった臨場感と知的興奮を読者の皆さんにおすそ分けいたします。前編は「平等院と石山寺」です。 【写真】石山寺本堂<紫式部源氏の間>。もしやここでまひろと道長は一夜を… * * * * * * * ◆いざ「平安貴族」ゆかりの地へ 日本史をテーマとしたツアー第3弾、そのテーマは「平安貴族」。まずは新幹線に乗って貴族たちが闊歩した京都へ、いざ! 京都駅からはバスに乗り換えて、宇治へと向かいます。『光る君へ』では病に倒れた藤原道長が命の灯を絶やそうとする中、百舌彦に請われたまひろがこの地に赴いたことで見事に復活を遂げましたよね。 宇治に向かうバスの中では、先生お手製の資料をもとに事前の解説がなされます。 それによれば、宇治は『源氏物語』のラストを締めくくる「宇治十帖」の舞台である一方、平安時代末期の「宇治川の戦い」では、木曽義仲軍と源義経・範頼軍が激突するなど、京都防衛上の要衝の地でもある…とのこと。
◆まずは平等院へ そうした背景を把握したところで、バスは平等院に到着。 京都府宇治市宇治蓮華に位置する平等院の本尊は阿弥陀如来、開山は明尊。開基は『光る君へ』にも登場した藤原道長の息子・頼通です。 もとは光源氏のモデルともいわれる源融の別荘だったものが、宇多天皇らのもとを経て、摂政・道長の別荘「宇治殿」になったとのこと。 その景色が10円硬貨に使われているのはもちろん、1994年に登録されたユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の構成物件の一つとなっているという、世界的にも有名な寺院です。 ですので、訪れたのは紅葉や修学旅行シーズンが終わりを迎えた12月中旬でしたが、それでもインバウンド含めて、人がたくさん! 『光る君へ』で乙丸役を演じた矢部太郎さん、いと役の信川清順さんもNHKの特番で訪れたそうですが、その混雑ぶりにはクライマックスを迎えたドラマの盛り上がりの影響もあったのかもしれません。 さっそく散策すると、極楽浄土の宮殿をモデルにした中堂や、左右の翼廊がもたらす迫力はもちろん、柱に塗られた朱色が水面に映る景色にため息が。まさに”映え”。 その平等院を歩きながら、本郷先生は「周囲の池は極楽浄土の宝池を模していて…」といった様子で、ツアーに参加された皆さんの質問にてきぱきと答えていきます。
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