もうひとつのパリ・ファッションウィーク──メンズウェアに新風を吹き込むアーティザナル・デザイナーたち
巨大ブランドの華やかなショーの陰で、メンズウェアの新たな潮流が静かに芽吹いている。1月のパリ・ファッションウィーク中、8組の独立系デザイナーを訪ね、彼らが提案する斬新なメンズファッションの世界を探った。 【写真を見る】オーラリーからヤン ヤン ヴァン エシュまで。長く付き合える「いい服」を手がける次世代のデザイナーたち 1月のパリ・ファッションウィーク。歩道に溢れかえって叫んでいるファンの大群をかわし、黒塗りの車の間を縫って、フランク・ゲーリーが手がけたフォンダシオン ルイ・ヴィトンのエントランスを目指す。QRコードをかざしてLV柄のバナーの前を通過し、美術館ファサードの威風堂々たるガラスの“帆”を後にする。驚いたことに、焦げた肉の匂いが漂っている。 ここで何が見られるかについては、なんとなく予想は付いている。ショーの招待状にカウボーイハットとハーモニカが描かれていたからだ。このショーは、新たにルイ・ヴィトンのメンズ クリエイティブ・ディレクターに就任したファレル・ウィリアムスによる2度目のフルコレクションのお披露目で、パリの街にアメリカ西部を再現している。数十人のシェフが打ち上げパーティーに向けて本格的なバーベキューを準備中だ。最前列では、世界屈指の大富豪のひとりであるLVMHのベルナール・アルノー会長が、LVアンバサダーのブラッドリー・クーパーの隣に座っている。ランウェイのモデルたちは、カウボーイブーツを履き、ダスターコートやチャップスを身に纏っている。カウボーイたちは暴れ馬にまたがる代わりにスチーマートランクを台車に載せて歩き、モノグラムのハンドバッグを手にしている。その全ては、高名なルイ・ヴィトンの職人の手によって美しく仕立てられたものだ。 これは世界的なショーマンによる高級モダン・メンズウェアの頂点であり、そのようなものは5年前には存在していなかった。だが、消費者や企業の行動がメンズファッション界を新たな高みに引き上げた。パリ・ファッションウィークの公式スケジュールの大部分を占めるのは、ランウェイショーに必要な会場やスタッフ、インフラの費用を賄うことのできる国際的ラグジュアリーブランドだ。 しかし、それがパリで唯一のショーというわけではない。高級品を扱う複合企業がハイエンドの贅沢品を求める客をめぐって派手に争いを繰り広げる傍らで、もっと物静かなブランドやデザイナーたちもまた悠然とパリに存在している。彼らは我が道を行く。現代の資本主義に対抗しているわけではなく、猛烈な速さで突き進む現代のファッションビジネスに代わるものとして存在するのだ。もう少しゆっくりとしていて、等身大に近いものを求める人たちにとっては救世主といえる。 その日の夕方早く、特に考えがあってのことではなかったが、その“もうひとつのファッションウィーク”のランウェイショーに足を運んだ。そのショーは、パレ・ド・トーキョーの2階、美術館奥のギャラリーで開かれた。セットデザインはなく、広い部屋に椅子が並んでいて、旅疲れしたいつものファッション関係者が徐々に席を埋めていった。盛り上がっていたとは言い難い。どちらかといえば彼らは義務感で参加している印象を受けた。 私個人としてはワクワクしていた。日本の新進ブランド、オーラリーによる初のランウェイショーだったのだ。同ブランドは、山本耀司や渡辺淳弥を輩出した名門ファッションスクール出身の岩井良太によって2015年に設立された。数年前までは日本国内のみの販売で、美しく作られたニットで知られていた。私が知る限り、このブランドは生地の開発に全資金をつぎ込んでいて、従来のマーケティングと見なされるものは何もやってこなかった。ところがここ数年で、堅実な小規模の国際ビジネスを確立し、ディテールにこだわる海外のメンズウェア関係者にファンを増やしてきた。 いわば、カルトブランドが表舞台への第一歩を踏み出そうとしていたのだ。観客のざわめきが静まりランウェイが照明で照らされた瞬間、比較的小さなこの新参ブランドが衝撃をもたらしたことは明白だった。しかも、ビッグブランドとはまったく違ったやり方で。その服は飾り気がなく普通といえるくらいで、パリ・ファッションウィークという文脈の中では、まるで啓示のように感じられる日常的でノンシャランなスタイルをしていた。フィーリングに満ち、はっきりと分かるようなトレンドや主張がない。服作りのための技やこだわりは、非物質的な目的のための物質的な手段であった。 その週の後半に、バンクーバーで手仕事が光る服を扱うセレクトショップ「ネイバー」を営む友人のサーガー・ディラウリにばったり会った。彼によると「服は、何らかの気分にしてくれて、自分が誰であるか、何に惹かれるかについて表現できるものであるべき」だという。「誰も気にしないし気づかないけれど、特別な生地を身に着けているという認識は気分を上げてくれるんです」 私たちは今、ファッション界に新しい風を吹き込むデザイナーたちの到来を目の当たりにしており、それが草の根運動のように感じられるとディラウリは言う。「消費者として激しい売り込みを受ける時代に何かに偶然出会って、なんだか今まで見たことがないものだな、みたいに思って、それがちょっと秘密めいていたりすると、それにますます興味を引かれるようになるでしょう。偶然の出会いという考えが満足感をすごく高めてくれるのです。予想していなかったから。超ニッチな特定の顧客を惹きつける反マーケティング的なビジネスモデルみたいな感じかな」 LVMHやケリング傘下のラグジュアリーブランドがセレブで埋め尽くされたショーで注目をほぼ独占し続けていたなか、私は残りの日々をファッションウィークのもうひとつの顔の探索に費やした。オーラリーの岩井のように、メンズウェアの未来に消え去ることのない足跡を残している、独立した職人気質のブランドの探索である。そのほとんどは公式スケジュールに掲載されておらず、実際のところ、ここで取り上げるなかで掲載されていたのはオーラリーだけだった。代わりに彼らは虚飾を排した服を展示する路地裏のショールームやアパート上層階にいて、個人的な人間関係やむき出しの信念、妥協のないビジョンに基づいて事業を展開している。ここに紹介する8組のデザイナーとブランドは、成長している職人気質のメンズウェア・ムーブメントのほんの一端に過ぎないが、そのエネルギーと魅力の高まりをよく表している。 ■着古すほどに愛着が湧く服 翌日、もうひとつのパリ・ファッションウィークツアーで最初に訪れたのは、エヴァン キノリだった。サンフランシスコ在住のデザイナー、エヴァン・キノリはここ8年間、パリで自身のコレクションを披露しており、1月と6月の年2回、1週間にわたってレピュブリック広場から数ブロック離れた路地にあるスタジオにショールームを構える。メディアへの露出を求めるわけでもなく、モデルを雇うわけでもないし、セレブやインフルエンサーに服を送って着てもらうこともない。建物前の石畳の道に人だかりができることもない。でも沈香の香りが1ブロック先まで漂っていた。キノリはパリで、世界各国から来る20名ほどの卸売業者と打ち合わせをするのである。打ち合わせは一対一。バイヤーや店主のほとんどは、何年も前からの知り合いか一緒に仕事をしてきた仲間だ。自分がデザインしたパターンや日本にある小さな工場と共同開発した生地について詳しく説明しながら、コレクションを全て紹介する。新しい取引先になりそうな販売店と会うことはほとんどないが、毎シーズンそういった申し込みがある。大半のファッションブランドとは異なり、できるだけ多くの服を作って売ることが目的ではない。 36歳のキノリは、米コネチカット州ミルフォードで育った。ニューヘイブンから16キロほどのロングアイランド湾に面した小さな海辺の町だ。彼は18歳で大学進学のためサンフランシスコに移り、フランス語と哲学を専攻してファッションデザインの授業をたった1コマだけ受けた。キノリの服飾デザインへの適性、少なくとも興味を見抜いた教授は、ロサンゼルスのファッション・インスティテュート・オブ・デザイン・アンド・マーチャンダイジング(FIDM)に入ってパターンメイキングを学ぶよう勧めた。この学校はいわゆる専門学校で、キノリは程なく衣服の作り方の基礎を身に付けた。実践的な教育だったため、卒業後すぐに服作りを始め、クローゼットの隙間を埋めるように、ジーンズやシャツなど、シンプルで自分の思い通りにフィットする服を作ることができた。そして2015年、キノリは自分の服を他の人々にも売り始めた。 キノリの服は全て天然繊維で作られ、主にウールやリネン、ヘンプ、コットンを使う。シグネチャーカラーは茶色で、様々な色調や質感、色彩を使う。山本耀司にとっての黒のように、オリジナリティや本質を感じさせる新たな方法を見出している。彼はどのコレクションも生地見本から始め、特定の場所や映画あるいは歴史上の人物を参考にするようなファッション界の典型的なやり方はせず、最初のパターンは自ら裁つことも多い。 しかし、キノリが職人気質のメンズウェア・ムーブメントの中心的存在だと強く感じさせるのは、何よりもまず自分が着たいと思う服を今も作り続けているという事実だ。「全ては自分の個人的な感性を基にしたもの」だとキノリは語る。私たちは石畳の路地に面したショールームの外で、木のスツールに腰かけていた。「クリエイターの集まる役員会もないですし、伝言ゲームもほとんどありません。知的に研究されているわけでもありません。フィーリングを追い求め、それからそのフィーリングを表現しようとしています」 キノリは自分にとって心地よく、「全般に落ち着いた」色を選ぶという。天然繊維を好むのは、経年変化が美しく、簡単に修復できて「どんな生き方をしてきたかが表れる」から。その例として、そのとき着ていた日焼けして色褪せた草木染めのリネンシャツを、両手を広げて見せてくれた。「とてもユニークな個性と人間的な温もりがある」という。キノリは確かに美についての考えに突き動かされているが、人間性についても強く意識している。「私たちの世代は、あらゆるプラットフォームで手仕事が排除され、人間性が排除されていくのを常に目の当たりにしてきました。全てが商業化されています。暮らしのありとあらゆるものから人間的な要素や温もりが消し去られてきたのです」 温もりが意味するのは、シャツが手仕事を経たということだけではない。全てのディテールについて判断が下され、どこも手を抜いていないこと、そしてあなたが望むのであれば、そのシャツが長年あなたに連れ添い続けるということだ。私はエヴァン キノリのシャツを何年も着ているが、買ったときよりも今のほうが気に入っているものも多い。それは偶然ではない。そのように意図されたデザインなのだ。 彼の言うところのヒューマンスケールのビジネスを維持するため、従業員はたった6人ほどしかいない。キノリは、ニッチなデザイナーとしては最大級であろう人気を誇っている。スタイルはいつも売り切れが出ているし、Discordには彼のブランドに特化したチャットグループもある。あらゆるレベルで一定の思慮深さを保つために、小規模であり続けることや、ゆっくり有機的に成長することを決めているのである。 このようなアプローチには執念が必要だ。マントルを率いるラーズ・ハリーとアイーダ・キム夫妻は、私が出会った中で最も執念が強く妥協を許さないデザイナーである。ふたりを見つけたのは、キノリのショールームの2軒隣。キノリと同様に、彼らは地球のほぼ裏側(オーストラリアのパース)から1週間にわたるセールスのために、新作コレクションをダッフルバッグに詰め込んでやってきた。 2015年、ハリーとキムは東京に住んでコム デ ギャルソンで働き、アヴァンギャルド・ファッションの世界に浸っていた。その経験が、マントルの製品第1号の開発に繋がった。自立できるほど硬く丈夫な、ワックス仕上げのコットンで作ったワークシャツだ。ほとんど建築物のような服である。ふたりがパースに移ったときに知っていたのは、コム デ ギャルソンの世界で身に付けた、美しく儚い服を作るためのあらゆる知識と技術だった。しかし彼らには、これまでとは違うやり方をしてみたいという気持ちがはっきりしていた─それは、もっと家具に近い服を作るということだった。 「ファッションブランドというより、プロダクトデザイン事業としてとらえていました」とハリーは語る。「だから、まずはひとつの製品に特化して、それに集中し、各パーツ、素材、金具、色を理解しようとしました。史上最高のシャツを作ろう、みたいな感じではなかったと思います。僕らの個人的な表現でした」 彼らが目を付けたのは、日本の工場が開発した頑丈な鞄用の生地だった。年代物の木製シャトル織機で織った先染めのコットンシャンブレーにワックスコーティングした後、ワックスが生地に染み込むように大きなオーブンで焼き上げる。そうしてできるのは、それが生地と呼ばれていることに驚かされるような代物だ。硬く、紙のようでずっしりしているが、何度も着るうちに馴染み、まるでオーダーメイドのようになる。マントルは今でもこの生地をシャツ、パンツ、帽子、ジャケット、バッグに使っている。 彼らによると、何度も違う生き方ができる服を作りたいという思いがあったという。ハリーにとって最もインスピレーションを与えてくれるもののひとつが父親の古いシャツの数々だ。数十年の時を経る中で「シャツの用途が変わっていきました。新品のいいシャツからお気に入りへ、そしていつまでも捨てられないもの、庭仕事の道具みたいなものへ。私たちは普通とは違う衣類と関係を築くことができる、みたいなことをそのシャツが証明してくれた気がしました」 ファッションの大部分はこんなふうにはいかない。「ほとんどの場合、着古すより先に服に対する興味を失う」とキムは言い、「だからこそ、それをひっくりかえそうとすることには、やる価値があると思いました」とハリーは付け加える。 だが、マントルが特別なのは、インスピレーションや服の背景にあるストーリーが理由ではない。ものづくりへのこだわりが理由だ。「プロセスをとても重視しています」とハリー。「誰がその服を作るのか、どんなパーツがあるのか、それはどこから来たのか、何を表しているのか。使うボタンは数種類だけ。いつも新しいテクスチャーや金具を探し求めているわけではありません。自分たちのやっていることを信じて、それをただ繰り返しているだけです」 マントルは、ブランドというよりはバンドになぞらえたほうが分かりやすいかもしれない。服の一着一着を歌のように扱うファンがいる。その中に飛び込んで分析し、学んで、自分の個性の中に吸収するものであるかのように。バンドは、新しいアルバムごとに自己改革するわけでもなく、リリースのたびに新テーマのムードボードを見せてくれるわけでもない。そうではなく、アーティストとそれを聴く人の間には、アートがパーソナルなものだという理解がある。作品は、あなたの気分を違ったものに変えられる。 人々が服に期待するものと実際に得るものは食い違いがちだ。でも、自分が着ている服を作った人とじっくり話してみると(あるいは自分のクローゼットにある服をよく見てみるだけで)、いくつか分かることがある。高価な服が丁寧に作られているとは限らない。その多くは、あなただけではなくそれを作った人や地球にコストを強いていることも多い。また、クラフツマンシップは、完璧であることを常に意味するわけではない。オランダ人デザイナーのカミエル・フォートヘンスは、特にこの最後の項目を曖昧にすることを好む。 ショールームでの販売打ち合わせのためにパリを訪れていたフォートヘンスは、「ほとんどの服は完璧で、平坦で、機械で作られたように見えます」と言う。「それとは違うものを提案したい」という彼の作品では、形は誇張され、裾は切りっぱなしで、柄は左右非対称。一見愛らしく素朴に見えるが、よく見ると並々ならぬ手間がかかっていて意図も込められていることが分かる。 「最高の生地を使って、最高によくフィットするものを作っています。着やすく、機能的であることに注意しながらね」と、彼は言う。「でもデザインを形にする中では、作り手の手仕事感を残すよう心がけています。ヒューマンメイド、ヒューマンクラフトであることを示すために」 切りっぱなしの裾や非対称の形に格別興味があるわけではないと彼は説明する。「完璧に作ったり仕上げたり、そうあるべきやり方に興味がないという感じでしょうか。服作りの作業に注目を集めるために、わざと不完全にしているわけではありませんが、進んで不完全な部分を残していることは確かです」 フォートヘンスの作業には、簡単だと思っていいようなところは何もない。実際はその反対だ。それこそが、服作りをこれほど面白くユニークなものにしているのだ。そのプロセスは困難で実践的である。「服、特にディテールはあらかじめ絵に描くようなものではなく、結果として現れるものであって、つかまえるか手放すかする必要があるものです」と、彼は言う。「予断を全部手放して、たくさん試して失敗してやり直し、判断を下しながら作ることが必要とされます。半抽象的な絵画を描くようなものです。制作プロセスの全てがデザインプロセスです」 この手法には新しい課題が出てくる。工場にとって馴染み深いのは正しい服の作り方、つまり、縫い目がまっすぐで始末されており、寸法が揃っているやり方だ。フォートヘンスのプロセスの大部分を占めるのは、彼の「未完成」の仕様で服を仕立てるべく工場と調整を重ねることである。そういった作業に工場はあまり慣れていない。「思い通りに仕上げるには、工場との調整にかなりの時間をかけて相当量のサンプルを作る必要があります。ほとんど手作業というかオートクチュールみたいなもので、ディテールについての正しい感覚が作り手に求められます」 言い換えれば、完璧であることに慣れすぎてしまって、完璧でないものを作るのがかつてないほど難しくなっているというわけだ。 ■顧客の関心は服作りのプロセスへ フォートヘンスのビジネスは堅実に伸びている。一方で、オーラリーの成長は爆発的だ。Instagramのフォロワーは45万人に達し、日本国外の取り扱い店舗は90を上回る。「たまにオーラリーがすごい商業ブランドみたいに感じられることがあります」。ブルックリンでオープンを控えるスローファッション中心のメンズウェアショップ、「ヴェン・スペース」でオーラリーの服を取り扱う予定のクリス・グリーンは語る。「でも、ふたを開けてみれば、生地へのこだわりは異次元のレベルです」 オーラリーがパリでのデビューを果たした数日後、落ち着いた雰囲気ながらも活気あふれるそのショールームに立ち寄り、創始者でデザイナーの岩井良太に会った。通訳を介して岩井は、生地重視のブランドであることの意義を語った。岩井はまず世界中から材料を集め、生地を開発する日本の工場に持ち帰り、できあがった生地を服に仕上げる。「派手な服でないことは理解しています」と岩井。「だから、初めてパリに持っていったときに人々の反応がとても良かったのは私たちにとって驚きでした」。デザインに対する静かで綿密なアプローチと繊細で魅力的な色使いによって、オーラリーはデザイナーや小売店のお気に入りになった。「オーラリーは、昔はどんなだったかをなんとなく思い起こさせてくれます」と語るのは、ストックホルムのショップ「ニッティ・グリッティ」のバイヤーであるエリック・ノルドシュテット。「(山本)耀司だとかアルマーニだとか。彼らは服の全てのパーツをデザインしました」。岩井が望むのは、人々がオーラリーの服を着て「快適でリラックスした気分になること」だけだという。 ここ数シーズン、オーラリーの考え抜かれた無頓着さを磨くために岩井はフランス人スタイリストのシャルロット・コレットとコラボレートしてきた。コレットは、別世代の静かで控えめな優良ブランドであるアー・ペー・セーの仕事もしており、「オーラリーの服はクレバー」と評する。「おかしなことを言っているように聞こえるかもしれないけれど、着る人を満足させるために作られています。デザイン、機能、素材、品質、そして耐久性まで考慮されているのです」 そういった流れで、共通点がなさそうに見えるブランドが、あたかも旅仲間のように感じられるようになる。キャプテン サンシャインは、デザイナー児島晋輔が2013年に立ち上げたブランドだ。生地作りに真摯に取り組み、日本各地の職人ネットワークに頼っている。だが、キャプテン サンシャインの服は世界中のアーカイブからもっと直接的な感化を受けている。新コレクションを展示していたマレ地区の小さなショップの店頭で会ったとき、児島は通訳を介して私に、ヴィンテージを愛しているが何かを再現しようとしているわけではないと語った。彼が目指すのは、自分が愛するヴィンテージと同じくらい優れたモダンな服を作ることであって、そのために日本中の職人と緊密に協力しているという。彼のジーンズを手がける工場は、世界中のメゾンブランドのジーンズも製造していることを誇る。 他のブランドはより小規模で動く。コーリーを訪ねたのは、フォートヘンスと同じ代理店のショールームだった。英国人デザイナーのハンナ・コーリーは、ロンドンのブランドでウィメンズウェアを手がけた後、2017年に弱冠25歳で自身のブランドを立ち上げた。コロナ禍を受けて実家に舞い戻り、そこから事態が本格的に動き出す。「いろいろなアイデアを練る時間がたっぷりありました」とコーリーは言う。その上、母親という信頼できる右腕がいた。彼女たちは、天然染料やハンドスモッキングなど、服作りを活き活きしたものにする技術の数々を学んで過ごした。「本当にただクリエイティブでいられる時間を持てたことが、ブランドを変え、発展させたのです」。コロナ禍による制約の中で、彼女はできる範囲で最も正直で賢いことに取り掛かった。自作した服や手がけていたシアリングのアイテムを身に着けた鏡越しの自撮りを投稿して、ウェブサイトで予約注文できることを告知したのである。それから事業が軌道に乗り始めたとコーリーは言う。デザイナー自身を案内役として、自撮り写真に映る鏡は、増え続けるファンや顧客がコーリーの世界を訪れる入り口となったのだ。コーリーの服はユニセックスのものが多く、2023年にはメンズウェアが発表された。大小様々なブランドがSNSによるフラット化に対する不満を漏らしているが、コーリーは、SNSがあることで顧客に自分の近況を詳しくはっきり伝えられると考える。写真を投稿すると、「私と知り合いのような感じがして、それに対してみんなすごく好印象を抱いていると思います」とコーリー。「プラットフォームの後ろに隠れるのは簡単だろうけど、私にとっては皆さんが単に服を買ってくれることだけが重要ではないのです」 販売と成長という事業上の重圧に常にさらされていないブランドでは、創造的自由が大きいことは想像に難くない。しかし、その創造的自由を突飛なアイデアや実験に向けないという事実こそが、私の中でこれらのブランドを結びつけているのであり、服を着ることの興味深く豊かで新しい考え方の規範たらしめているのである。今日でさえ、パリのランウェイは未だに高度にコンセプチュアルなファッションの象徴である。ほとんど全ての世界的なファッションハウスが美術界のファインアーティストとのコラボレーションに熱を入れている最近の状況からも、それが窺える。だが、このショールームでは、(時には限られた手段による)爽やかなシンプルさが貫かれている。 ニューヨークを拠点とするコナー・マックナイトは、服にとって役に立たない話をすることからの脱却を図っていると打ち明ける。一連のコレクションによって新しく世界を築き、それが半年後には新しいものに取って代わられるというファッション界の主張を無視しているのだという。 私たちがいるのは、マックナイトがこの1週間借りているパリの美しいアパートで、ルーブル美術館から数ブロックの、おそらく17世紀に建てられた建物の上階にある。「黒人の生活や黒人の経験に関する、ありふれてはいるもののエモーショナルなトピック」をテーマにコレクションを作っていると彼は説明する。「でも最近では、例えば歴史の引用みたいなものを突くよりも、服のアイデアやフィーリングに重きを置くようになりました。何年もかかって分かり始めてきたように思うのは、結局のところクールな服を作りたいということで、コンセプトが邪魔になることもあるということです」 顧客がデザイナーに期待するのは、参考にしたものやインスピレーションの話ではなく、その服が実際にどうやって作られたのかという話になりつつある。ブルックス・ボスウェルは、クラフトに力を入れる独立系ブランドを扱うブティックをオレゴン州ポートランドで経営しており、今回のパリ訪問中に見かけたブランドも数多く取り扱っている。彼女の店「ショップ・ボスウェル」は当初はウィメンズのみを扱っていたが、扱い始めたばかりのメンズウェアが急成長している。店を訪れる男性客について、ボスウェルは次のように言う。「彼らは(服そのものに関する)ストーリーに興味を持っています。自分でも調べてはいるのですが、店に来ると、どんなブランドがあってどのように服を作っているのか、何がそのブランドの特徴なのかといったこと全てを知りたがるのです」 小規模でも優れたブランドは、小売店での経験が自分のブランドの差別化に重要であることに気づいていた。2020年に起業した当時、マックナイトはひとりだった。電話やメールがくれば自分で対応していた。現在は2人の従業員を抱え、特注オーダーに素早く応えている。デザイナーと着る人の個人的な交流について、「そのプロセスを皆が楽しんでいることが分かり始めた」とマックナイトは語る。「そういった人との繋がりをある程度保つことで、この服の背後にいる人の存在を伝えることができます。ブランドの数はものすごく多くて、ニューヨークでは棒を投げればブランドに当たるといった具合です。だから、全ての雑音をはねのけるには、人々を少しスローダウンさせて、自分のスペースに引き込むのが効果的だと思います。おしゃべりしたり、立ち寄ってもらったり、新しいものを見たり。人々を自分の世界に引き込む感じです」 ■特別な服は着る人と一体になる パリ滞在の最終日は、この職人気質のファッショントレンドのなかで老舗的存在ともいえるヤン ヤン ヴァン エシュのうっとりするような世界を数時間堪能した。ベルギー人デザイナー、ヤン =ヤン・ヴァン・エシュのショールームには、サイケデリック集団の「メリー・プランクスターズ」のような雰囲気が漂っていた。中庭の端に位置するソラリウムのようなメインスペースには、竹と結束バンドで複雑に組み合わせた棚に新作コレクションが吊るされている。販売を担当するのは、彼のパートナーのピエトロ・チェレスティーナ。ふたりの友人ラミン・ディウフはテキスタイルを提供するセネガル出身の手織り職人で、服のモデルも務めている。実際に着ているところを見なければヴァン・エシュのデザインを理解できないためだ。キッチンでは、友人のシャルロット・クープマンがベジタリアン料理を作っている。今日のメニューはケッパーのシチューで、あまりに手が込んでいて美味しいので、信じられないくらい満足感のあるパフォーマンスアートと言ったほうがいいかもしれない。 ヴァン・エシュは、現代ファッションのシステムの中で活動する、フィーリング重視の独立系デザイナーのパラダイムを確立した。使う生地についての彼の考え方は高度で、そのカットは独創的で、革新的でもある。主に長方形を使い、折り紙で白鳥を折るように立体的なオブジェを作り出す。だが最も際立っているのは、デザイナーがコントロールできるものには限界があることを認めている点だと私は思う。彼はパターンメイキングを仕事にしているが、作り終えた服についてはこうも言う。「その服はほとんど自分のものではないように感じます……その形の50%を決めるのは、その中に入っている身体ですから。いつも言っているのは、服を形作るのはあなたであって、その逆ではないということです」 着る人の体型によって服の見え方が違うことは自明の事実だが、それを認めるデザイナーはそれほど多くない。「体型や姿勢、歩き方だけでなく、スタイリングや組み合わせによっても変わってくることに驚かされることがあります」と、ヴァン・エシュは言う。「そういう意味で、ちょっと一歩引いて見るのが好きですね。デザイナーとして自分なりの物差しやエゴ、アイデアはもちろんありますが、誰かの人生に合わせて形を変えるような、ある種の開放性も作りたいのです。誰かのワードローブの中でデザイナーとしての存在感を主張しすぎないようにしたい。それがある種の自由、ある種の精神的自由や肉体的自由を与えてくれます」 今回、服がいろいろな気分にさせてくれることを再認識した。贅沢でハイソな気分にしてくれる。透明人間みたいな気分も味わえる。快適に感じさせたり、させなかったり。自分のお金を使うことや仲間のビジネスを支援することに誇りを感じさせることもあるし、だまされた気分にすることもある。良い気分や、素晴らしい気分にさえしてくれる。私たちは、実際に感じている感覚を鈍らせるために消費するという過剰消費の時代を生きている。そんななか、私たちにもっと多くのことを感じてもらいたいと望むデザイナーがいることを、しっかりと受け止めたい。 この夏、私はファッションウィークのために再びパリを訪れた。ほとんど毎日のようにエヴァン キノリのダスティブラウンのリネンスーツを着て。合わせるのはローファーかスニーカーに、ヴィンテージTシャツかシンプルなボタンアップシャツが多かった。その服でリック オウエンスのショーに行き、夜に「ラヴェニュー」で開かれた『GQ』のパーティーに足を運んだ日もあった。でも、このスーツを着ていたときのお気に入りの瞬間は、Limeの電動キックボードでレピュブリック広場周辺の混雑を掻い潜り、精神的にも肉体的にも自由を感じているときだった。そのスーツは、ベルギー製のリネン、パリッとした手触りと軽く繊細な質感、ゆったりしたカットのハリウッド・ウエストのパンツといった感じだが、これらの記述のどれをとっても私が言いたいことはうまく伝えられない。自分にとって大切な何かを身に着けたときには、特別な感覚が湧き上がる。それは、自分自身がその物と一体化したような不思議な感覚だ。それは自己の内側から生まれるものだが、服もその半分を担っているのだ。 From GQ.COM By Noah Johnson Translated by FRAZE CRAZE