【証言・北方領土】歯舞群島 多楽島・元島民 河田弘登志さん(4)
いち早く帰られるように かつてはみんな島の近くに住んできた
――戦争とはいえ、無に帰しただけじゃなくて、もっと大変な状況に置かれてしまったってことを、今振り返って、どう思いますか。 「島が返ってきたら、帰って住みますか」とよく言われます。「テント張ってでも何でもいいから、何日かでもいいから、そこで生活してみたい」とは言いますけれども、状況が全然違います。浜も何も全然侵食されてしまって、ないんですよ。何十年もかかって整備したところなんか、1つも残ってないわけですから。当時、家の建っていたとこも全部海ですから。 ですから、国がしっかりやってくれんなら別ですけど、私は、もう82にもなって。ただ、返還された後には、あしたでも返還されたんであったら、何日かでも行って、テントでも張って、そこで生活したい。昔を思い出してね。だけども、元島民だけの島じゃない。今1億2700万人だかになりましたけど、国民一人ひとりのものなんです。日本国のこの領土は、そういう領土なんです。誰が行って住んでもいいんですよ。個人所有、登記とか、いろいろ権利関係もあるかもしれませんけど、そんなのもうみんな、どこからどこまでってわかんねえから、国が一括補償するとかになるんでしょうけど、どなたが行って住んでもいいんですよと、あそこは。 ただ、今はもう年とったから、そう思ってますけど、さっき言ったように、若いころ、生活が苦しいのをずっとやってきてる。漁師だって言ったって、魚もろくに獲られない。島に行ったら、そんなことない。よく島に行ったら、島に帰ったらね、と思ったですよ。当然、私の父親たちなんかも特にそう思ってたかもしれません。子供たち育てるにも大変な思いしてますからね。どなたも、それは思ってたんじゃないですか。ですから、やっぱりこの辺から離れがたいっていうのもありますよね。 ――返還されたときには、またすぐ島に戻れるようにしていた。 やっぱり返ってきたら、いち早く行きましょうと思って、みんなこの辺に当時いたんだと思うんですよ。ですけれども、見込みもないし、こういう狭い海で漁業やれるわけでないですし、いろんなところに移転してった。富山県から来てた人たちは富山行ったとか、そういうふうになったんですね。 ――今回いろんな方の話伺って、領土、政治、外交というイメージで、北方領土について思っていました。多分、ニュースでそう感じている人も多いと思いますが、もう純粋にふるさとに帰りたい。 そうですよね。