「他人の評価するスキルは案外使えません」 養老先生が語る「人生に役立つスキル」とは
本当に役に立つスキルとは
9月の自民党総裁選で当初有力候補とされていたのが小泉進次郎氏であった。その出馬表明後、最初のつまずきともいえるのが、「解雇規制の見直し」発言だ。これが「企業にとって都合の良い改革」だと見られ、マイナスに働いた面はあるようだ。 【写真を見る】養老先生が語った、「生きるスキル」を身につけるために「大事な経験」とは?
小泉氏自身は、「リスキリング(学び直し)や再就職支援の強化とセットであり、失業者が増えるような政策ではない」といった主張をしていたのだが、その真意は浸透しなかったとみられる。 しかし、大学生や20代の若者ならともかく、中高年が「学び直し」たとして、需要はあるのか? 一体何を学べば労働市場で評価されるのか? 通信教育で得られる簡単な資格で意味があるのか? こうした疑問は突き詰めていくと、「生きていくうえで大切なスキルとは何か」という問いに到達するのかもしれない。医師や弁護士といった資格を持っていても「使えない」「相手にしたくない」と思われる人は一定数存在している。そうなると彼らの持つ立派なスキルは「宝の持ち腐れ」になるというわけだ。 『バカの壁』などで知られる養老孟司さんは、新著『人生の壁』で、この「スキル」に関する問いに答えている。養老さん自身、医師免許は持っているものの、決して使えるスキルではない、という。では使えるスキルとは何なのか。それはセミナーや教室で得られるものではなく、日常生活で得られるものだ、と養老さんは語る(以下、『人生の壁』から抜粋・再構成しました) ***
私はこの年になっても、人から頼まれて自分ができることはなるべくやるようにしています。それがなければ家で毎日ボーッとしていたでしょう。 多くの場合、頼み事や相談の類は煩(わずら)わしいものです。でも、それは周りが自分に対して重みを持たせてくれているのだとも言える。また、煩わしく感じるのは実は往々にして、自分の体力の問題です。体力があれば、大抵のことは対応できる。 だから若いうちは煩わしいことに嫌というほどかかわっていいのです。恋愛や結婚、子育ても煩わしいに決まっています。でも若いうちは体力があるから向き合える。 さらに言えば、生きているうえでやることは、煩わしいことばかりです。それをどう考えるかで随分人生は変わってきます。 会社で若手に仕事が集中して、中高年にはヒマそうなやつがいる、それで「何だ、あのオジサンたちは」という不満が絶えない、という話はよく聞きます。気持ちはわかります。下手をすると向こうのほうが高い給料をもらっているのですから、たまったものではないでしょう。 しかし、程度の問題はありますが、体力のあるうちは、煩わしいことにかかわっていたほうが幸せなのです。 ここを今の人は理解していません。修行という考えが消えていったことと関係しているのでしょう。人に頼まれて、付き合いで仕方なく何かをやる。煩わしいかもしれないけれど、それでも一生懸命やると結局は自分のためになるのです。 運動すれば筋肉がつくのと同じです。筋肉のトレーニングそのものはそんなに面白いものではないし、辛く感じることのほうが多いかもしれませんが、サボらずに繰り返せば筋肉は確実につきます。