「他人の評価するスキルは案外使えません」 養老先生が語る「人生に役立つスキル」とは
「嫌なこと」をやってわかることがある
大学で教授をやっている頃、助手の中にはお葬式で挨拶するのを「絶対嫌だ」と言う人がいました。身内のお葬式ではなくて、大学に献体してくださった人のお葬式です。 私は「黙って行け」と言って、取り合いませんでした。今ならパワハラと言われるのかもしれません。本人の意にそぐわない業務を無理強いした、と叱られそうです。 嫌がる気持ちはよくわかるのです。私も嫌でした。献体していただいた恩はあっても、まったく知らない方の葬儀で挨拶するのですから、気分が乗るほうがおかしい。 しかし、別に名演説を期待されているわけではない。一言、二言何か言えばおさまるのですから、そのくらいはできなければ仕方ない。 そんなノウハウを身につけても、普遍性がないと思われるでしょうか。でも、そこで何を言うかを自分の頭で考える経験を積むのが大切なのです。その経験から、人前で話をするにあたっては、ある程度本音が入っていないと駄目だと気付くはずです。 献体者の葬儀における本音とは、「献体してくださって本当にありがとうございました」です。それさえきちんと言えればいいのです。 ここで事前に教授である私がこういうことを言え、と具体的に教えては駄目です。「絶対に嫌だ」と思っている本人が考えたうえで、苦し紛れでもいいから挨拶をひねり出さなくてはいけない。こういう経験もまた修行なのです。 下手に事前にカンニングペーパーをもらって、暗記していっても駄目です。それでは伝わらない。 そういう意味では安易に準備をしないということも大事です。そもそも人生とはそういうものでしょう。 準備できないこと、予期しないことが次々目の前に現れて、それに対処せざるをえなくなる。人生はその繰り返しなのです。他人の物差しで評価される「スキル」は案外、役に立ちません。
養老孟司(ようろうたけし) 1937(昭和12)年、神奈川県鎌倉市生まれ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。1989年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。2003年の『バカの壁』は460万部を超えるベストセラーとなった。ほか著書に『唯脳論』『ヒトの壁』など多数。 デイリー新潮編集部
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